輸血拒否についての考察

本考察は、「宗教団体「エホバの証人」における宗教の信仰等に関係する児童虐待等に関する実態調査報告書」を調査する前に、事前検討を行った内容をまとめた考察です。エホバの証人信者への迫害・ヘイトはしないようにお願い申し上げます。

なぜエホバの証人は輸血を拒否するのでしょうか。

彼らはどのような「代替治療」を受け入れるのでしょうか。
その「代替治療」は緊急救命にどれほど意味を持つのでしょうか。

最高裁判決、そして各種ガイドラインの内容はどのようなものでしょうか。

エホバの証人は輸血につき信者に何を教えているのでしょうか。

本ページではこのようなテーマについて1つの考察を示します。
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序 エホバの証人と輸血拒否‐再考すべき問題

「エホバの証人」と聞く場合、多くの人は真っ先に「輸血拒否をする宗教」をいう印象を持つかもしれません。

実際、①1985年6月6日には、10歳9か月の男児が交通事故による外傷を負った際にエホバの証人信者である両親が輸血を拒否し、輸血以外の全ての救命措置が行われながらも救急搬送後4時間23分で死亡した事例があり1、②2000年2月29日には輸血拒否に関するエホバの証人信者患者の自己決定権を尊重すべきとの最高裁判決が出され2 、③2008年2月28日には宗教的輸血拒否に関する合同委員会報告として「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」が策定され3、④2023年現在においては、各種医学学会及び多くの医療機関が輸血拒否に関するガイドラインを公表するとともに、「親権者が患者の輸血を拒否しても、当事者が15歳未満または医療に関する判断能力がない場合には児童相談所を通じて親権者の職務停止の処分を受け、親権代行者の同意のもとで輸血を行う」との理解が定着しているものと思われ、こうした経緯も相まってエホバの証人といえば輸血拒否というイメージが一般的に存在するように思われます。

このような最高裁判決の存在・親権者の職務停止処分の運用等により、エホバの証人による輸血拒否問題は社会的議論上、一定の決着をみたものと扱われているようにも思えます。しかしながら、2022年12月27日に厚生労働省から「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」(以下「厚労省QA」といいます。)が出され、「医師が必要と判断した治療行為(輸血等)を行わせないこと」は児童虐待であるとの明確な見解が出された今4、児童のみならず、全てのエホバの証人信者に関連して、輸血拒否問題に関する現実を考察するのは有益であると考えます。

この点、上述「①」の10歳男児輸血拒否事例の際に病院側で対応した三好邦達教授は、1992年に権威ある法律雑誌で論考を公表されています5。同論考の中で三好教授は、本件事件発生の約9カ月前に、同様に未成年者の輸血拒否事案(事例1)があった事、当該事例1においては手術まで数日の猶予があった事、両親の親(患者の祖父)も含めた数日間の説得の末に両親が輸血に同意した事などについて言及したのちに、本件事件(事例2)についての教訓(教授の表現では反省点)として、
①「事例1の経験から輸血が医学的に必要となった場合、誠心誠意説明すれば納得してもらえると医師たちが考えたこと」
②「事例1は緊急性が低かったのに、緊急性のある事例2でも両親に納得してもらえると考えたこと」

③「事例2では家族以外の他人が存在し、なんとか納得してもらえそうになっても両親は仲間の信者と相談の上でまた拒否となる繰り返しがあったこと」を指摘しておられます。

この論考の公表から30年以上が経過し、その間に最高裁判決や輸血拒否ガイドラインが出され、職務執行停止の運用がなされるようになりましたが、そうした整備が進んできた現在においてもなお、教授の指摘する上記3点は、依然として変わることのない極めて重大な教訓を関係者すべてに与え続けるものであり、そのように考えられる種々の考察について以下に記載いたします。

※エホバの証人の輸血拒否についての信念がどれほど強固であるか、彼らがそのような強固な信念に至る理由は何か、実際の緊急の大量失血事案はどれほど突然でどれほど重大な結果を引き起こすかについて理解する人はそう多くはないものと思われるため、「エホバの証人の輸血拒否を理解しようとする方々のために少しでも役立つ1つの情報となること」を目的とし、そのような視点から考察を述べます。

1 なぜエホバの証人は輸血を拒否するのか

1 輸血拒否の理由

エホバの証人が輸血を拒否する理由はただ1点、「聖書が血を避けるように」と教えているからというものであり、聖書の文言を文字通り解釈して現実生活に適用するという彼らの宗教姿勢によるものです6

エホバの証人は殊更に「輸血の有害性」を指摘することはありますが7、とはいえそれは輸血拒否の根本理由ではなく、「血が汚れているから」とか、「医療上有害だから」という発想は根拠とせず、「ひとたび循環器系の外に出た血液は体内に取り入れてはならないと神が命じている」という信仰が根拠になっています(彼らが人工心肺・透析・希釈式自己血輸血・セルサルベージを受け入れる理由は、これら医療機器を「循環器系の1つ」とみなすことによるようです)8

そしてその信仰の根拠は,主に「血を避けるように」とだけ書かれている新約聖書の使徒行伝15章29節、及び、旧約聖書の創世記7章21節とレビ記7章内の2つの節、合計3か所の短い聖書の言葉、つまりは「聖書に記載されている文字通りの文言そのもの」です9

「聖典に書かれた文言を文字通り受け止める」ことが原理主義者の特徴であるとの見解10 に立った場合、エホバの証人は「キリスト教原理主義者」であり、信仰を除外したうえでの他の合理的理由から彼らの輸血拒否の信条を理解することは著しく困難ないし不可能であり、この原理主義的発想を理解することは彼らの立場を理解するスタートラインであると思われます。

2 決意を強化する他の信仰‐「復活」と「至上命題」

 

1 エホバの証人の輸血拒否の決意を更に強化する他の教理もあり、その1つは「復活」の信仰です。

これは,死んだ後に天国に行くという発想ではなく,「死に至るまで教義に従う場合,将来,この地上の現生で,今生きているのとまったく同様の姿かたちで復活できる,しかもその場合はこの地上の現生で今生きている状況のまま,次は永遠に生きられる」という信仰であり11、文字通りこうした教理を真剣に信じている点に、彼らの原理主義的な別の側面が存在します。

輸血を受け入れる説得に成功した例が存在するため12、各自の信仰の度合いによりケースバイケースですが、熱心な信者の場合、「死とはただ短期間眠るだけのことで,次に目が覚めたときには今ある姿そのままで,愛する友人知人に迎えられ,元の生活(元の生活よりも,より良い生活)ができる」・「今はただしばらく眠り,また元の世界に戻るだけ」・「しかもその復活の時はいまから数年・数十年以内のごく近い時期である」と真剣に信じているため,緊急の現場で「死んでしまっては何もならない」という説得の言葉は何の意味もないという事態が生じ得ます。

この復活の教義は、当然、「希望」という側面のみならず「恐怖感による信仰への固執」という側面も持ち合わせるように観察されます。すなわち、この復活の希望は、論理的に考えれば「仮に輸血を受け入れて神の教えに背く場合,復活を得られる機会を失い,今の命に固執したが故に,将来確実な永遠の命を失う」という発想につながることになります。自分や或いは子供が死に瀕したエホバの証人は,「あとは少し寝てまた起きるだけの状況までこぎつけているのに,ここまで来て,今この瞬間に輸血をして少し延命したがゆえに,圧倒的な将来の利益を失ってしまう」という恐怖感を抱き得るというのが当然の論理的帰結であり、このような恐怖感から親が子供に輸血を受けさせないことについて必死になり得る、ということを理解することは重要と考えられます。

2 加えて、エホバの証人信者は日頃から現実に存在する「エホバ」という神に絶対の信仰を忠誠をささげる事,死に至ったとしても信仰を貫くことで「エホバ神が正しいことを証明すること」を絶対の信条としています13。彼らが「エホバの証人」という名前を使うのはこれが理由です。ですので,緊急輸血拒否の事態に直面する際,多くの熱心な信者は,「今こそ自分の(或いは子供の)命よりも神への忠誠を優先することを示す最も重要な局面だ」と強く感じ,自分や子供の命よりも信仰を優先する事についての極めて強い動機づけを得る状態に陥りやすくなると思われます。このことが,「このままでは本当に死んでしまう」という説得が、場合によっては無意味ないしは逆効果になり得ることの強力なもう1つの理由です。

3 エホバの証人信者が輸血を受け入れた場合の教団内の扱いがどうなるかを理解することも重要です。エホバの証人の最重要機関誌『ものみの塔』1961年5月1日号p.287には「洗礼を受けた者が輸血を受けこの点で聖書にそむいた場合,その人はクリスチャン会衆から排斥されますか:霊感された聖書は排斥されると答えています。」と明言していますし、1993年出版の『エホバの証人‐神の王国をふれ告げる人々』13章183ページには「1961年以来,神のご要求を無視して輸血を受け,悔い改めない態度を示す人はみなエホバの証人の会衆から排斥されました」と明記されています。その後、輸血を受け悔い改めない信者に対しての対応は「排斥」から「断絶」という扱いに変化したようですが、いずれにしても「破門処分」の対象となるようです。このエホバの証人の破門処分は、信者の信仰を前提にすれば「死刑判決」に等しいものと解されるとともに、家族・親族を含む別の信者との交流が不可能ないし著しく困難となり、日常生活に長期的かつ決定的な影響をもたらすこととなります(排斥、断絶、忌避については別の項目を参照)。エホバの証人の信仰を前提にした場合、「排斥または断絶」という制度の存在もまた、輸血を拒否する上での著しく強い心理的理由になるものと考えられます。

4 このように、彼らの輸血拒否についての信仰は、他の信仰と相まって何重にも構築された強固な精神状態によって構成されるものであり、この信仰の強固さと根拠を理解することは重要と思われます。

2 輸血拒否促進の要素‐「代替治療」と「医療機関連絡委員会」

1 代替治療

上述の「信仰」とは別の側面からも,エホバの証人の輸血拒否の決意を強固にする別の現実世界の要素が存在し,この「別の要素」を理解することも極めて重要であると考えます。それは,輸血に代わる「代替治療」の存在に対する漠然とした,しかし極めて大きな期待です。

エホバの証人は,「輸血拒否」には医学的メリットも大きいということを繰り返し信者に教育しており,同時に,輸血に代わる「代替治療」の存在について繰り返し信者に教育しています。

例えば,エホバの証人組織は1990年に「血はあなたの命をどのように救うことができますか」という31ページの薄い出版物を発行しています。その中では、①輸血をしなくても無血性の血漿増量剤(食塩水・ヘタスターチなど)を使用できること,②ヘモグロビンが100cc中1.8グラムまで落ちても救命できた事例があること,③エリスロポエチンなどのホルモン剤を使って赤血球の形成を促進できること,④低血圧麻酔法やレーザーメスを使用して患者が必要とする酸素量を減らせることなどが短く記載されています。

また,エホバの証人組織は,「保存版」と銘打った上で,「私たちの王国宣教2006年11月号」という別の出版物の中で「受け入れ可能な血液分画」についての一覧表を信者に提供しています。その中では,①分画製剤:アルブミン・免疫グロブリン・血漿由来の凝固因子・ヘモグロビン・ヘミン・インターフェロン、②自己血関連の治療:セルサルベージ・血液希釈・人工心肺・透析・ブラッドパッチ・血漿アフェレーシス・自己血由来の血小板ゲル・標識、については神の目から禁止されるものではない旨が明記されています。

これらの羅列された医学用語の提示が,「絶対的無輸血治療を貫いたとしても,輸血にかわる代替治療が存在するので,輸血を拒否することの危険性は医学の進歩により著しく低くなっている」という漠然としたしかし大きな楽観的期待を引き起こし、この「漠然とした大きな楽観的期待」が絶対的無輸血の決断を強力に後押ししている可能性が存在していないかどうかを考慮すべきであるように思われます。

実際に多くのエホバの証人は「自分たちは医療を拒否しているのではない」・「自分たちは最良の医療を選択する権利を行使しているだけで、ただ輸血だけを受け入れないだけであり、他の代替治療は受け入れる」と医師らに強調するよう教えられています。このような姿勢は、代替治療に対する彼らの大きな期待と楽観主義を裏付けているように観察されます。
※この代替治療に関するエホバの証人の教えは、極めて深刻な懸念点を提起するものであるため、次項において想起し得る懸念点について記載いたします。

2 医療機関連絡委員会

「1」と相まって言及すべきと考えられるのは「医療機関連絡委員会」という組織の存在です。

エホバの証人組織は,各国の支部内に,「ホスピタル・インフォメーション・サービス部門」という部門を設置し,絶対的輸血拒否について,様々な啓蒙活動をしています14。そして,日本国内の各都道府県に「医療機関連絡委員会」という組織を設置しており,その組織の目的の中核は,こうした「無輸血治療に応じてくれる医療機関」についての情報を日頃から集積し,それら医療機関と連絡を取り合い,緊急事態の場合にこうした医療機関を信者である患者に紹介することである,と広く表明しています。

個々のエホバの証人信者はこの「医療機関連絡委員会」のメンバーに非常に大きな信頼を置いていると観察され,輸血に関連する問題が生じる場合,まずは真っ先にこのメンバーと連絡を取り,「血液関連の治療につき,何が禁じられ何が許容されているか」の情報をあらためて得るのが通常です。そして「この医療機関連絡委員会のメンバーが,無輸血治療に対応する高度な医療機関と日々連絡をとり,それら医療機関の情報を日々蓄積しているので,この医療機関連絡委員とコンタクトをとれば,無輸血治療に対応する高度な医療機関にすぐにコンタクトをとれる」という強い信頼感を有しているように観察されます。

「エホバの証人信者は往々にして,血のつながった(信者ではない)家族よりも,「長老」と呼ばれる地元のエホバの証人組織の指導的立場にある人や,特に,これら医療機関連絡委員(彼らも長老であり通常の長老よりも権威があると認識されている)に大きな信頼を置く傾向がある」、「患者である信者自身の要請により、これら医療機関連絡委員が医療機関を訪れることがある」という点を理解することも重要と考えられます。なぜなら、これらの教団幹部に代理権があるのかないのか、患者の真の意思表示にこれら幹部が影響を与えているのかいないのか、これら教団幹部が提供する「無輸血治療可能な医療機関」に関する情報が真実信頼できるものであるか、こうした点について緊急の場では判断がつかず、混乱が引き起こされる可能性が存在し得るからです。

3 深刻な懸念点①‐エホバの証人が教える「代替治療」

上述のとおり、エホバの証人信者は「輸血に代わる代替療法」について教団から情報を提供されています15。もっとも、これら代替療法については客観的に考えて深刻な懸念点が存在するように思われるため、社会的な議論が有益であると考えられる点について、以下のとおり記載します。

1 エホバの証人が受け入れる代替治療

エホバの証人組織は信者向けの「保存版」情報として、以下の代替治療の一覧表を用意しています。

(エホバの証人発行 『私たちの王国宣教 2006年11月号「血液分画、および自己血の関係する治療処置をどうみなしますか」P5,6から引用)

上記の各治療が医学的に重要で有意なものであることは論を待ちません。しかしながら、交通事故による突然の大量失血や妊産婦の大量失血などの事態に限定した場合、これらの治療が果たして救命においてどれほどの意味を持つのかどうかを考えることは極めて重要と思われます。しかもこれらの事態は医学的・類型的に多くみられるものであり、実際、平成27年から令和元年は、2歳~14歳の子供の死亡原因の第1位は全て「交通事故」であり16、また、妊産婦の死因の1位も大量出血とされています17

また、上記の各表に書かれた医学用語とその効果を、エホバの証人の一般信者はどこまで理解しているのかについても考えるべきではないでしょうか。一般論から言って、「アルブミン・免疫グロブリン・ヘミン・血漿アフェレーシス」などといったものが何を示していて、どのような効果がありどのような効果は持たないのかを信者が本当に理解しているのかどうかという疑問、また、自己血輸血は神に認められないと考える信者が「希釈式自己血輸血や術中回収式自己血輸血(セルサルベージ)については許されるのかどうか」、「その根拠は何か」、といった点について理解しているのかどうかという疑問や心配が生じるのは合理的なことではないでしょうか。

そして、このように多くの医学用語が羅列された表を示され、「今は医学の進歩によりこれだけの代替治療が存在します」と説明されたと仮定した場合、その説明を聞く人に、効果や意味を理解せずに「これだけ代替治療があるなら安心だ」との医学的根拠のない楽観主義を引き起こさないかどうか、疑問や心配が生じるのは合理的なことではないでしょうか。さらに言えば、多くの場合「長老」と呼ばれる幹部信者がこうした説明を行うのでしょうが、その説明をする側の「長老」たち自身がどこまでの理解をもちながら説明するかについても疑問が生じるのもまた、合理的なことであると考えます。

2 代替治療の有効性についての検討

この「代替治療」が救命においてどれほの意味を持つのかについての1つの考察を以下に記載します。
※但し、重篤な交通外傷(例えば「大動脈瘤破裂やそれによる大量血胸」「腹腔内出血」「骨盤骨折」「出血コントロール不能な大腿骨骨折」「多発外傷」などの重大事案)、妊産婦に類型的に起こる子宮破裂や弛緩出血などの、突然かつ大量の出血事案に限定した考察であることを明記します。

①アルブミン:
エホバの証人の大量失血事例の場合、救命救急医はアルブミンの投与を検討するかもしれません。しかしその目的は「血液の浸透圧維持」、つまり血管内の水分量を保持して血流・血圧を維持する事です。大量出血の際に血流・血圧を維持することは確かに極めて重要ですが、それは血流を維持することにより「赤血球≒ヘモグロビンが酸素を供給し続け、全ての細胞・臓器(特に脳および脳細胞)の機能不全、出血性ショックを防ぐこと」であり、その後の赤血球の投与がないのであれば最重要目的を果たせません。ところがエホバの証人信者はその赤血球を投与することを拒否します。     

つまりアルブミンを使用しても、いずれかの臓器(又は多臓器)の出血性ショックやDIC(著明な出血による高度で深刻な血液凝固異常)などの致命的事態が発生するまでの極めて短時間の間に失血自体を止めることができないのであれば、赤血球≒ヘモグロビンの増加がなされない以上、輸液等を併用して血管水分量を保持しても救命という意味では意味をなさないことが容易に想定されます。(そして、そもそも輸血なしでは根本治療すら着手できないため「失血自体を止めること」も著しく困難ないし不可能と思われます。)
むしろ、仮にアルブミン(及び輸液等)を使用して血管内水分量を保持した場合、その後の赤血球≒ヘモグロビン投与がなされないという重要前提がある以上、血流・血圧が維持されるがゆえに「逆に出血が促進される」という悪循環(止血機能障害)の発生が予想され、結果としてヘモグロビン値及び凝固因子値の低下が促進され、死亡が早まる事態も想定されるように思われます。
(なお、医学的な意見は多様であることは当然ですが「そもそも外傷患者で輸液としてアルブミンを主体に使うと死亡率はむしろ上がるという事実は明確であり、外傷蘇生でアルブミンは用いられるべきではないのではないか」との指摘をする医師もいるようです。また、2006年の手術の事例でエホバの証人信者がアルブミンを拒否した事例もあり18、何を受け入れて何を受け入れないかについての統一基準が存在しないこともうかがわれます。)  

②免疫グロブリン:
免疫グロブリンは主に細菌・ウィルス等の「感染症対策」に使用されるもので、外傷等による大量出血の治療とは無関係と思われます。

③凝固因子(クリオプレシピテート)

クリオ製剤の有用性自体は確かに認められますが、しかしそれは、
ⅰ.「すぐにクリオ製剤が使える」施設かつ
ⅱ.当該患者が「エホバの証人だけど、クリオ製剤OK」の場合です。
クリオ製剤やフィブリノゲン製剤を実際使用する際のハードルとしては上記2つの「すぐに製剤が使用できる」という厳しい条件と、 「FFPはダメだけどフィブリノゲン製剤・クリオ製剤がOK」という医学的に極めて不合理と思われる状況を 医師側がすぐには想定できないと考えられるという状況です。

(この凝固因子はエホバの証人が拒否している新鮮凍結血漿の沈殿物であり、通常のFFP輸血を拒否するのに、その元となるこれら製剤を受け入れる理由が全く理解できないという医師は少なくないのではないかと思われますし、フィブリノゲン製剤についてはそもそも使用可能なのかどうかもエホバの証人資料には明記されていません。)

またそもそも、大量出血の場面において救急医が究極的に重視することは全身臓器への酸素運搬確保(つまりは赤血球≒ヘモグロビンの確保)であり、輸血拒否において根本治療すらできない状況において、クリオ製剤の使用により緊急の大量出血事案で「死亡を食い止める事態」まで到達できるかどうか、現実的な考察が必要と思われます。


④ヘモグロビン
エホバの証人が2006年時点で受け入れ可能な血液分画として「ヘモグロビン」を掲げていることに対して極めて強い疑問を抱く医師は少なくないものと想像されます。

上述のとおり、大量出血の場面において救急医が究極的に重視することは全身臓器への酸素運搬確保(つまりは赤血球≒ヘモグロビンの確保)であり、ヘモグロビンさえ入ればエホバの証人のケースでも救命可能性は劇的に上昇するように思われます。しかしながら、現在も、ましてや2006年時点において、救命救急の臨床現場で使用できるヘモグロビンはそもそも存在しないように思われます。

ヘモグロビンを用いた修飾ヘモグロビン製剤などは開発されてきていますが実用化していません。1990年代に着手された米国製のヘモグロビン重合体は臨床試験が進みましたが認可されていません。ヘモグロビンを抜き出しての製剤化「ヘモグロビンベシクル」は2022年にようやく臨床試験が始まったばかりです。エホバの証人側の意図は不明なものの、仮に、救命において決定的な意味をもつヘモグロビンについて「使用可能」とし、それでいて臨床現場に「存在しないもの」を堂々と掲げて「こうした代替治療がある」と信者に公言していると仮定した場合、そのような教えが誠実なものであるのかどうかが問われるように思われます。

なお、「ヘモグロビンは使用可能」と言われた場合、即座に「ヘモグロビン=赤血球(RBC)」と判断する医師は少なくないようにも思われます。仮に「ヘモグロビンは使用可能」と説明され、それでいて赤血球は使用不可能と説明された場合、医療現場での医師の混乱や困惑・体験する重圧が非常に大きくなることも考えられるかもしれません。

⑤ヘミン
ポルフィリン症(ヘム合成回路の酵素が機能しない疾患)、特に急性間欠性ポルフィリン症の発作の軽減に使用されるもので、外傷等による大量出血の治療とは無関係と思われます。

⑥インターフェロン
抗ウィルス剤抗がん剤などに使用されるもので、外傷等による大量出血の治療とは無関係と思われます。

⑦血小板分画
そもそも現在、存在しません。

⑧セル・サルベージ(術中回収式自己血輸血)
手術中に流出した血液成分を回収して体内に戻すという意味においては理論的には有意と考えられます。しかしながら、事故現場や搬送中にすでに体外に大量の血液が流出している場合には、体内血液が枯渇している以上は、その残存血液を手術中に回収するにすぎず(しかも回収率は100%を大きく下回る)、救命手段として非現実的であることは容易に想定されるものと思われます。

それ以前の問題として、セル・サルベージの施設を有する医療機関に救急搬送される可能性が一体どれほどあるのかというそもそもの問題が当然に存在します。

⑨血液希釈
「①、⑧」と同様です。体内にある血液を手術中に体外に出し、血漿増量剤を入れて体内に戻すという方法であり、通常は手術の前に相当の時間的猶予があり、手術の1~2週間前から鉄剤やエリスロポエチン等を投与して増血したうえで、慎重なバイタルコントロール下で行われる治療です。事故現場や搬送中にすでに体外に大量の血液が流出している場合で、体内血液が枯渇している状況で実施され、救命に至る事態は想定されないように思われます。

⑩人工心肺
心臓手術の際に使用されるもので、外傷等による大量出血の治療とは無関係と思われます。

⑪透析
腎臓疾患等の治療であり、外傷等による大量出血の治療とは無関係と思われます。

⑫ブラッドパッチ
脳脊髄液減少症等の治療であり、外傷等による大量出血の治療とは無関係と思われます。

⑬血漿アフェレーシス
血液を体外へ取り出して、病気の原因となる物質を血液中から分離して取り除く治療であり、外傷等による大量出血の治療とは無関係と思われます。

⑭標識
病気の検査方法の1つであり、外傷等による大量出血の治療とは無関係と思われます。

⑮自己血血小板ゲル
採取した血液から血小板とフィブリンを分離・濃縮してゲル状にして使用する再生医療であり、インプラント後の傷の治りを早めるために使用されたりするものであり、外傷等による大量出血の治療としては想定されないものと思われます。
なお、エホバの証人は循環器系から離脱した血小板は自己血であっても受け入れないはずであり、なぜ自己血血小板ゲルや、牛の血液から作られた血小板ゲルが神の目から許容されるものとして扱われるのか、疑問が残ります。

 

※このように、エホバの証人は殊更に「代替治療」を強調し、その主張は教団外部だけでなく内部信者にも向けられているように観察されますが、「実際の緊急の大量出血の際に現実の救命を可能にする代替治療がその中にあるのか」・「緊急の大量出血の治療と無関係なものが大量に羅列され、そのことにより、そうした事態にも代替治療で十分に対応できるのだという安易かつ極めて重大な思い違いが引き起こされていないか」という点を考えることは重要であると考えます。

3 救急医療現場で想定される深刻な現実

1 上述した各治療方法が、それぞれが本来目指す治療方針において医学的に有益なものであること、これらの治療法を通じて無輸血治療を実施するドクターたちのたゆまぬ努力や信教の自由への理解が称賛されるべきものであることは言及するまでもないことです。繰り返しになりますが、この項目において述べたいことは「緊急の大量出血の際にこれらの『代替治療』が現実に救命手段としてとられるのか」・「仮にそうした事態における救命手段として意味をなさない場合、『これだけの代替治療があるのだから、緊急の大量出血が起きても何とかなるのだろう』という、現実を知らない楽観的な発想による、平時における安易な輸血拒否の意思表示を惹起してはいないか」という素朴な、しかし極めて重大な疑問点です。

無輸血代替治療の有用性・有効性は、①治療まで十分な時間的余裕があり重篤な症例でないケースと②治療の時間的余裕が全くなくかつ重篤な緊急事態のケースに、完全に分けて考えられるべきと思われますし、①のような余裕のあるケースについての「無輸血で治療したほうが予後が良好であった・感染の予防ができる」というようなデータばかりに日頃からエホバの証人信者が接していて、②のような重篤な緊急事態においても無輸血代替治療の有用性・有効性がそのまま通用するのだという楽観的な感覚を持つ事態が仮に存在するならば、そうした「重大な混同」については改めて考え直す必要があるように思われます。

2 この点、客観的かつ一般的に考えれば「輸血をすれば救命されるが輸血をしなければ死亡する」というはっきりしたケースは現実に確実に存在すると思われます。しかもそうした事態は突然に起こります。

全身状態不良な出血性ショックの際に人に輸血をしないということ自体が一般に想定されていないために明確なデータは存在しないと思われるものの、動物実験の結果などを基にした場合、全く未治療の出血性ショックで人が死亡するまでの時間は中央値で2~3時間であると考えられ、大動脈損傷などを伴う場合は数十分以内またはそれより遥かに短い時間で死亡に至る可能性があると思われます。そのような「現実」を普段想定することもなく、「代替治療があるから何とかなるのだろう」という楽観的かつ根拠のない期待を抱いているエホバの証人信者が仮にいた場合、そしてそうした信者自身やその子供にそうした事態が現に突然に発生した場合、状況を理解してものごとを考えなおす時間が全く存在しないケースは、合理的観点から容易に想定されるのではないでしょうか。

日本外傷学会・日本救急医学会監修の「外傷初期診療ガイドライン」では、失血についてはClassⅠ(15%までの出血)~ClassⅣ(40%までの出血)の4段階が記載されているところ、ClassⅣに当たる出血がある患者においては、上記の代替治療は、現実的にいって、ほとんどのケースで「ほぼ全てが根本的解決にならない」ように思われます。

医療者は、①全身臓器への酸素運搬確保、②血管内の循環血液量確保(≒血圧確保・循環動態の維持)、③凝固因子の補充、を目的として輸血を行いますが、輸血を行わずに外傷蘇生を行うという場合、現実的な代替治療は生理食塩水・リンゲル液などの輸液投与くらいと思われるところ、この対応で行えるのは上記「②」のみであり、しかも、補液を多量に入れることで、血管内のヘモグロビン濃度・凝固因子濃度がどんどん薄まってしまい、「アルブミン」の項で上述のとおり、逆に出血を促進するという悪循環(止血機能障害)も起こし得ます。そもそも緊急の大量出血状態では「出血原因を止めて止血する事」が最重要のプライオリティーになると考えられるところ、その止血措置の際にさらなる出血が想定されるケースでは手の施しようがない事態に陥り得るようにも思われます。

現実的な観点からは、輸液等の「エホバの証人が個人の良心で決定できる」とする代替治療を施したとしても、①出血性ショックが発生→ ②各臓器損傷が次々に出現→③DIC(著明な出血による高度で深刻な血液凝固異常。血液を凝固させようとする作用とその血液を溶かそうとする作用が無秩序かつ無数に繰り返され、出血抑制に必要な血小板と凝固因子が使い果たされていき、出血コントロールが体内で破綻する状況)を発症→④出血コントロールが完全に不可能という過程をたどり、⑤死亡を防ぐことはほぼ不可能で、(症例により異なることは当然ですが)死亡までの上記一連の流れが24~48時間以内にほぼ確実に起こることが想定されるように思われます。

つまり、既に体外に血が出てしまっている場合、救命可能なほぼ唯一の方法は、現時点では輸血としか言いようがない状況に思われます。そして親権停止等により子供に輸血を実施する場合、救命・絶命という観点からは親権停止の審判までの時間は著しく限られ、高度の緊急性が求められることになります。
※医学文献には「宗教上の理由で輸血を拒否する外科手術後患者を対象とした研究において,Hgb <8 g/dlの症例ではHgb値が1 g/dl低下するごとに死亡のオッズ比が2.5倍ずつ増加し,Hgb <2 g/dlの患者の死亡率は100 %であった」との報告も存在します19

3 加えていえば、エホバの証人の出版物には「ヘモグロビンが100cc中1.8グラムまで落ちても救命できた事例があること」が記載されていますが、上記のとおり「Hgb <2 g/dlの患者の死亡率は100 %であった」とする医療報告もあるほか、重度貧血においては酸素不足による脳や他の臓器不全等の後遺障害が発生することも想定されるところ、エホバの証人が指摘する上記「1.8 g/dlの救命事例」なるものの紹介においては、それがどのような症例であったのか、どのような理由でどれほどのスピードでそこまでヘモグロビン値が下がったのか、救命後に重篤な後遺障害が残存したか否か、などについての一切の説明がないことにつき大きな疑問を提示せざるを得ないように思われます。

4 仮に、こうした医学的な現実を全く意識せず、かつ、代替治療や救命可能性についてのエホバの証人側の情報「だけ」を持った輸血拒否患者(又はその家族)が、突然の大量出血により救命救急の場に運び込まれたと仮定した場合、対応する医師の直面する苦悩も、以下のように想像されます。

①まず、どこまでの治療が「患者の意思に沿って」実施できるのかが不明であり、現場での混乱と重圧が予想されます(実際、教理上アルブミンが使用できるとされているように思われるものの、上記の症例ではアルブミンは拒否されています。)

②どこまでの医療知識を持って、どこまで確固たる意思で輸血拒否しているのかが信者によって区々であることが想定されます。(仮に医学的に著しく的外れなことを言われた場合、医師が蘇生の現場でそれをすべて説明している時間があるとは、到底、想定できません。)

③最終的に救命のために輸血が不可欠であった場合、誰の権限で輸血をするのかが病院内で不明確な場合も想定されます。(多くは院長権限ということになるかもしれませんが、重篤な輸血拒否事例は症例数が多くなく、かつ、各症例ごとに信者の理解や状況が全て異なるであろうことから、院内の対応・判断に困る事態は容易に想定されます。)

④医学会のガイドラインのフローチャートでは、最終的に「転院を勧告」との記載に行きつくところ、その決定段階においては転院は時間的にも現実的にもほとんど不可能ではないでしょうか。その場合、患者の死亡により引き起こされる医師の精神的打撃は相当なものであると考えられます。

⑤仮に救命・延命に成功した場合でも、ICUやベッド、治療人員などの医療資源への負担・医療保険への負担・救命に成功した場合でも本人からの訴訟、救命できなかった場合には親族からの訴訟の脅威・倫理委員会や顧問弁護士、上長への報告などの負担・継続する治療行為自体の精神的重圧なども想像されます。

⑥エホバの証人は信者らに対して、輸血拒否に関連して「病院の用意した書面に同意できない文言が含まれているなら、そうした文言を削除する権利がある」と言い切る形で信者に教えているようですが、医療契約上、病院側の同意書面の文言削除を要求したうえで更に自らの求める医療行為を実施することを要求する権利がエホバの証人信者側にあるとは考えられません。医療選択に関する権利においてエホバの証人信者側に誤った理解・その誤った理解に基づく誤った期待が存在しないかどうか、その誤った期待が医療現場で混乱を引き起こしていないかどうかも懸念されます。

※エホバの証人組織側の資料や個々の信者への指導には、このような「医師の直面する著しい負担」についての言及はないように思われ、かつ、こうした医師の負担や時間切れによる死亡リスクを増加させかねないミスリーディングとも読める記載・指導も存在するように思えます。彼らが医療選択の権利を主張するのであれば、同時にこうした視点からの医療側への配慮についても表明すること・信者に対して誤解を与えかねない情報を提供しないよう彼らに期待することは、間違ったことではないように思われます。

4 最高裁判決について

(1) 多くの方は,「輸血拒否が憲法上の権利であることを認めた最高裁判例」があると認識されているのではないでしょうか。

その判例は,最高裁判所平成12年2月29日判決で、法学特に憲法学を学ぶ人であれば絶対に学ばないことはないほどの有名な判例と思われます20。 

この判決の要旨は「医師が、患者が宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有し、輸血を伴わないで手術を受けることができるものと期待して入院したことを知っており、右手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず、ほかに救命手段がない事態に至った場合には輸血するとの方針を採っていることを説明しないで右手術を施行し、患者に輸血をしたなど判示の事実関係の下においては、右医師は、患者が右手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪われたことによって被った精神的苦痛を慰謝すべく不法行為に基づく損害賠償責任を負う。」というものです。

輸血拒否についての本判例は,「自己決定権」や「インフォームドコンセント」という概念・権利を確立した判例であり,「医療選択における決定」のような重要な決定においては,本人の意思が最大限(当人の死に至ったとしても)尊重されるべきという考え方を確立し,成人に関して言えば法律世界も医学の世界も完全にこの考え方に沿って輸血拒否への対応がなされています。「この患者は自らの確信的な信条に基づいて決定をしており,他の代替治療は受け入れる姿勢を示していたのだから自己破壊的行為とも評価できない」という判例解説などが存在し、こうした解説に最高裁判決の趣旨が要約されるように考えます。

同時にこの判決は、直接的には「医師の説明義務違反」(命が危うくなったら最終的には輸血をするという方針を十分説明せずに医療契約を実行したことは損害賠償に値すること)を結論付けた民事上の判決であり、その事実を知らない・意識しない方も少なくないように思われます。

(2) この最高裁判決の結論は今後も動くことはないように思われるところ、結論部分だけではなく「最高裁がこうした判断に至ったこのケースの具体的事情」について考えるのは,社会全体にとり非常に重要なことであると思われます。

①この判例の輸血拒否患者は,公開されている情報(最判平成12年2月29日民集第54巻2号582頁)によれば,平成4年の手術当時に63歳と比較的高齢であり,突然の事故等により緊急手術を受けたわけではなく,悪性肝臓血管腫によりほかの病院から東大病院に転院してきた患者さんでした。輸血拒否を原因として亡くなったわけではなく,手術の結果すぐに悪性腫瘍が転移していることが判明し,手術から4年後の平成9年に亡くなっています。また,公表されている判例集によれば,ご本人は昭和38年からエホバの証人信者であり(日本でも珍しいほどの古株)子供も信者でした。

②実に人生の半分以上をずっとこの宗教の信者として過ごし,近い親族も同じ宗教信者であり,しかも悪性の癌にり患していて余命が長くないという場合,「自分の人生の最後に至るまで宗教信条を貫きたい」と考えることは宗教心を持たない一般人の感覚からも良く理解できることですし,人生の大半において実践してきた自分の宗教に最後まで自分の人生をささげたいと本人が希望するならば,周囲もこれを尊重するのは自然なことですし,一般的に考えてもその方が当人の幸福に合致し,周囲のショックも少ないと考えられるかもしれません。

③この患者さんは,最高裁判決が出る前に亡くなられましたが,最後まで自分の信条を貫き,周囲の信者(まさに日本中・世界中の信者から)その行動ゆえに畏敬の念をもって見守られ,当の宗教団体からも支援を得ながら訴訟を最後まで戦えば,ご本人の人生の幸福度は相当に高かったのではないかと想像されます。しかも,突然,輸血拒否の選択を迫られたわけではないですし,輸血拒否が原因で亡くなったケースでもありません。

(3) もっとも、現実に起こりうる輸血拒否のケースはこの患者さんのケースとは全く違うケースも多数想定されてしかるべきであるように思われます。これは上述のとおり、若年者層に類型的かつ不可避的に発生し得る、突然の交通事故や妊産婦の大量出血などのケースなどです。一般報道によれば、
 ①2007年5月には大阪府で出産後の妊婦が弛緩出血で大量出血し,輸血を拒否して数日のうちに亡くなりました21

②1996年7月には鹿児島県で衝突事故に遭った20代の妊娠中女性が輸血を拒否した後,事故の4時間半後に出血多量で死亡しました22

③1989年8月には静岡県でバイク事故に遭った17歳男性が,輸血を拒否した後、事故から5時間経たずに失血死しました23

④上述のとおり、1985年6月6日には川崎市で交通事故に遭った10歳の男の子が輸血を拒否した後,事故発生から5時間経たずに出血を原因として亡くなっています24

現在では「輸血拒否後の失血死」の事例はニュース性を失っているため,他に発生した事例について報道されていないものと想像されます。そうした中でこうしたいくつかの報道事例を挙げることの意図は、こうしたケースが発生しているという現実、今現在も生じているであろう高度の蓋然性に言及する事です。

(3) 最高裁は確かに「患者が特定の治療を受けるか否かについて意思決定をする権利」を人権として認めています。しかし、

①この最高裁判決は「相対的無輸血治療(可能な限り無輸血治療に努力するが、輸血以外に救命手段がない事態に至った時には輸血を行うという方針)を拒否する権利」を認めるものの、「絶対的無輸血治療(死亡に至ったとしても輸血を行わずに他の治療行為を尽くす方針)を医療機関に要求する権利」まで明言しているわけではないと考えられます。

エホバの証人教理を前提とすれば「相対的無輸血治療は認められず、絶対的無輸血治療が前提となる」と思われるところ、上記の点についてエホバの証人信者側に思い違いや漠然とした楽観主義が存在していないかどうかを確認する必要はないでしょうか。そもそも一般のエホバの証人信者の間に、相対的無輸血治療と絶対的無輸血治療についての明確な理解は確実に存在するのでしょうか。

②この最高裁判決は「患者が宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有している」ことを前提にしていますが、特に未成年者の場合に、そうした「固い意志」が存在するかどうかの判断をだれが、どのようにするのかについて、実際の緊急の救命現場において誰がどのように判断するのでしょうか。

この点について医療現場における困惑や混乱は存在しないのでしょうか。

5 患者が未成年である場合‐ガイドラインと親権一時停止

上記の最高裁判決が出て以来、未成年者の輸血拒否については医学会においてガイドラインが策定されてきたほか、裁判所による親権停止の審判などの運用がなされてきました。このガイドラインと親権停止について概説を記します。

1 宗教的輸血拒否に関するガイドライン 

『宗教的輸血拒否に関する合同委員会』は,2008228日付で「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」(以下本項目で「ガイドライン」という。)を公表しています。同ガイドラインは,「患者が未成年者の場合の対応について,慎重に検討し,基本的には患者自身の自己決定権(輸血拒否権)を尊重しつつも,満15歳未満の小児(医療の判断能力を欠く人)については,特別な配慮を払いながら,輸血療法を含む最善の治療を提供できるようにすること」を提唱しており,(同「宗教的輸血拒否に関するガイドラインの解説」)国内の多くの医療機関が,宗教的信条に基づく輸血拒否への対応の指針としてこのガイドラインを採用しています。

ガイドラインは,以下の通り,輸血実施に関する基本方針として,「輸血が必要となる患者について,18歳以上,15歳以上18歳未満,15歳未満に分け,それぞれにつき,医療に関する判断能力と親権者の態度に応じた対応を整理しています(※なお,ガイドラインでは,患者の医療に関する判断能力は「主治医を含めた複数の医師によって評価する」ものとしています)。

1.当事者が18歳以上で医療に関する判断能力がある人の場合

(1) 医療側が無輸血治療を最後まで貫くとき 当事者は,医療側に本人署名の「免責証明書」を提出する。
(2)医療側は,無輸血治療が難しいと判断したとき 医療側は,当事者に早めに転院の勧告をする。

2.当事者が18歳未満,又は医療に関する判断能力がないと判断される場合

(1) 当事者が15歳以上で医療に関する判断能力がある場合 ① 親権者は輸血を拒否するが,当事者が輸血を希望するとき 当事者は輸血同意書を提出する
②親権者は輸血を希望するが,当事者は輸血を拒否するとき

医療側は,なるべく無輸血治療を行うが,最終的に必要な場合には輸血を行う。親権者からの輸血同意を提出してもらう。

③ 親権者と当事者の両者が輸血を拒否するとき 18歳以上に準ずる
(2) 親権者が拒否するが,当事者が15歳未満,又は医療に関する判断能力がない場合 ① 親権者の双方が拒否する場合

医療側は,親権者の理解を得られるように努力し,なるべく無輸血治療を行うが,最終的に輸血が必要となれば,輸血を行う。親権者の同意が全く得られず,むしろ治療行為が阻害される状況においては,児童相談所に虐待通告する

② 親権者の一方が輸血に同意し,他方が拒否する場合

親権者の双方の同意をえるように努力するが,緊急を要する場合などには,輸血を希望する親権者の同意に基づいて輸血を行う。

2 通告後に児童相談所が取りうる措置

 上記の医学会のガイドラインでは「児童相談所に虐待通告する」との記載がありますが、通告を受けた児童相談所はどのような対応をするのでしょうか。

(1) 関連通達

子どもの輸血拒否の事案につき,医療機関が児童相談所に対し虐待通告をし,児童相談所が当該児童を一時保護した場合,厚労省の通達25によれば,児童相談所は,事案の緊急度等に応じて,以下の3つの手段を選択ないし併用することが推奨されています。

親権停止の審判による未成年後見人又は親権を代行する児童相談所長等による措置 ②①の親権停止審判の請求を本案とする保全処分(親権者の職務執 行停止・職務代行者選任)による職務代行者又は親権を代行する児童相談所長等による措置 ③児童の生命・身体の安全確保のため緊急の必要があると認めるときに親権者等の意に反しても行うことができる旨の規定に基づく児童相談所長等による措置

(2) 各対応の使い分け

通達では,各対応の使い分けとして、以下のように定めています。

ⅰ)緊急性が極めて高く,親権停止審判及び保全処分の手続では時間的に間に合わないと判断される場合 ③の措置をとる
ⅱ)児童の生命・身体に重大な影響があると考えられるため対応が急がれるもので,①及び②の手続によっても時間的に間に合う場合 ①及び②の各申し立ての措置をとる
ⅲ)②のみならず,①の確定を待っても時間的に間に合う場合 ①のみの措置をとる。
ⅳ)ただし,①及び②をとった場合であっても,②の決定または①の確定がなされる前に,児童の状態が急変するなどにより生命・身体の安全確保のために緊急に医療行為が必要になったとき 躊躇うことなく③により対応する。
ⅴ)さらに③をとった上で引き続き継続的に医療行為が必要な場合 ①及び②の措置をとる

 

3 審判例

親が子どもの治療を拒否した場合に,一時保護の上,児童相談所長が親権停止を申し立てた審判例を紹介します。

(1) 東京家審平成27年4月14日判タ1423号379頁
【事案】A(0歳)は,平成27年のある日頻繁に嘔吐を繰り返すようになり,C医院において手術が必要と判断された。しかし,親権者ら(Bら)は手術の必要性は理解したものの,宗教上の理由から輸血に同意しなかった。その後,無輸血手術可能なD病院でAの手術を行うこととなったが,多量の出血があった場合には輸血の必要があり,事前に親権を停止した上で,親権代行者による輸血の同意が必要となるとして,児童相談所長が職務執行停止・職務代行者選任の保全処分の申立てを行った。
【要旨】Aの生命の安全及び健全な発達を得るためには,可及的速やかに手術を行う必要があり,無輸血手術を行う場合でも,凝固障害や手術中の大量出血の緊急の場合に備え,事前に輸血について同意を得ておく必要があるといえる。そうすると,輸血に同意しないことが宗教的信念などに基づくものであっても,Aの生命に危険を生じさせる可能性が極めて高く,Bらによる親権の行使が困難又は不適当であることにより子の利益を害することが明らかであり,本件では保全の必要性も認められる。また,Bらの陳述を聞く時間的余裕もない。
したがって,本件審判申立て事件の審判が効力を生じるまでの間,BらのAに対する親権者としての職務の執行を停止し,かつ,その停止期間中,申立人を職務代行者に選任するのが相当である。 

 

(2) 東京家審平成28年6月29日判タ1438号250頁
【事案】E(生後4か月)は先天性疾患(心室中隔欠損症,動脈管開存症,肺動脈狭窄症)を有し,発育不良・心不全等を来しているため,現在入院中のG病院の主治医は直ちに手術が必要と判断している。親権者ら(Fら)は,手術の必要性等について説明を受け,同病院での治療に同意しているが,Eを見舞う回数が少なく,おむつや洋服の補充等の対応が遅く,医師による病状説明等の予定をキャンセルする等,治療に非協力的な態度が見られた。このため,児童相談所長が職務執行停止の保全処分の申立てを行った。
【要旨】Eは,・・・高度の専門性を有する病院において,直ちに治療及び手術を受ける必要があると認められる。そして,Eの現在の病状や今後予定される手術の内容等に照らすと,Eの親権者としては,Eを頻繁に見舞うとともに,医療従事者と十分に意思疎通を図り,緊急の事態が生じた場合も含め,Eが必要としている医療行為が実施されるよう,迅速かつ適切に対応する必要があると認められる。Fらは,本件の第一回期日において,Eが必要な医療行為を受けることについて同意し,協力する意向を表明しているが,・・・Fらのこれまでの対応や現在の生活状況等を照らすと,Fらが現在の緊急事態に迅速かつ適切に対応できるかどうか疑問があるといわざるを得ない。
そうすると,本件においては,本案審判認容の蓋然性及び保全の必要性があり,本案事件の審判が効力を生ずるまでの間,Fらの職務執行を停止することが子の利益のために必要であると認められる。

4 海外での裁判例

上述の通り、日本国においては15歳以上で判断力のある児童については「児童本人の意思を尊重して輸血拒否を認める運用」がなされている実態です。もっとも、15歳以上18歳未満の児童につき、その輸血拒否の意思を尊重するか否かにつき、海外においては異なった判断がなされているようです。
そうした海外での事例を二事例紹介します。

(1) イギリスの裁判例(2021年11月9日イングランド・ウエールズ控訴院判決)(E&F(Minors:Blood Transfushion)【2021】EWCA Civ 1888)
【事 例】 E(16歳8か月)及びF(17歳5カ月)両名は,輸血を含む可能性のある緊急手術を必要としていた。E及びFが宗教的信条から輸血を拒否したために,病院側が高等裁判所において「病院が患者の意思に反して輸血を用いることは正当とする」という旨の判断・宣告を得た。結果として,手術において合併症が生じなかったため輸血は必要なかったが,Eらは,当該宣告がEらの自己決定権を侵害する不当なものであった旨主張して上級審に不服を申し立てた。 
【要 旨】 「すべての主要な宗教的信仰と同様、法律は人間の生命の価値に深い敬意を払っている。 ヨーロッパ条約第2条は、すべての人の生命に対する権利は法律によって保護されなければならないと定めている。成人に達した者が治療を拒絶するならばその意思は絶対的に尊重されるべきである。しかし,成人に達する以前は,たとえそれが真摯で熟考された子どもの意見であったとしても,裁判所は子供の最善の利益に関する客観的な評価に基づき子供の意見と対立を厭わず行動しなければならない」と指摘し,原審を正当と認めた。

 

(2) オーストラリアの裁判例(2013年9月27日豪州高等法院)(X vs The Sydney Children Hospitals Network【2013】NSWCA320)
【事 例】 エホバの証人信者であり癌患者のX(17歳7か月)が上告人となり,ニューサウスウェールズ州裁判所の決定に対し,豪州高等法院に上告した事案。同州の決定では,シドニー子供病院がXに対して輸血を伴う治療を行うことを許可するものであった。Xは悪性リンパ腫を発症しており,主治医は「仮にXが治療を受けなければ,80%の確率で死亡する危険がある」との医学的見解を示していた。他方、Xは自らの宗教上の信条から輸血を拒否した。Xは,豪州の成人年齢である18歳となるまで後残り5か月に過ぎず,成人と同様の判断力がある旨主張した。

【要  旨】 親権を停止乃至喪失させることが法的に許容されるのは,子の福祉の要請がある場合のみであるとの一般論を前提に,国家は国民の生命を守ることが責務であるところ,子ども(という存在)は,本来的にあらゆる面で脆弱な立場にあり,子どもの生命の保護は国家の最大の関心事であるとして関連法令等を検討し,子の「最善の利益」の観点から,18歳未満であるXにつき,例え,18歳に5か月満たないものであったしてもなお,有効な医療上の同意をなしえないとして,Xの上告を棄却した。※同裁判例は「当該子供は高い知力を有している」ことを認定したうえで、同人が生まれてからこれまでずっとエホバの証人の教えの殻の中に閉じ込められてきた」と判断して輸血治療を命令した旨の解説が現地報道においてなされています。

5 小括

上述のとおり,日本国内のガイドラインでは,15歳以上の児童が親権者と共に宗教上の信条に基づき輸血拒否をした場合,18歳以上に準じてその意思を尊重する運用となっていることもあり,公表されている親権停止の審判例は,専ら乳幼児の事例となります。いずれの審判例も,迅速かつ的確な運用がなされています。

なお,海外においては,児童が,16歳8か月,17歳5カ月(イギリスの事例)や,17歳7か月(オーストラリアの事例)と成人に近い年齢であっても,裁判所は子どもの「最善の利益」の観点から,そしてその子供がどのようにしてそうした決定を表明するに至ったかの経緯についても考慮したうえで、児童本人の意思に反して輸血を伴う治療を認める司法判断を下しており,法体系は異なるものの,その判断枠組みは日本においても参考になるものと思われます。 

6 ガイドライン及び親権停止についての考察

このように、我が国で数十年前に輸血拒否後の死亡事例が報道されて以来、最高裁判決やガイドラインの制定・親権停止の運用等がなされてきました。しかし、このことにより「児童の輸血拒否問題」については社会的に一定の解決がさなれたように扱われ「いわば社会的に片付けられてしまっている」という実情は存在しないでしょうか。

2022年12月27日に厚労省QAが出されたことを受け、今、社会はこの問題について、さらにより良い解決を目指して新たに議論を深め続けるべきではないでしょうか。

1.まず、15歳未満の児童で親が輸血拒否をする場合、児童相談所に虐待通告の上で児童相談所の所長が親権停止の仮処分等を行うことが想定されます。しかし、病院から児童相談所への通告・児童相談所の対応・その後また病院に戻ってきて治療開始となるのにいったいどれほどの時間がかかるのでしょうか。上述した10歳児童の輸血拒否案件においては、輸血以外の全ての治療を尽くしたにもかかわらず、病院に救急搬送されてから死亡に至るまでの時間は「4時間23分」でした。文字通り1分1秒を救命のために争う事態が現に存在することを考えると、上記運用があるからこの問題についてのさらなる社会的議論は必要ないと考えるのは不適切なように思われます。

2.上記ガイドラインにおいては患者が15歳以上18歳未満で親も輸血拒否に同意する場合、「本人の意思」を尊重して輸血を行わないことになると思われます。しかし厚労省Q&Aは、18歳未満の子供に対して「宗教の信仰等に関係する児童虐待」が法律により禁じられていることをより明確化しました。(Q&Aのいう「児童」とは,児童虐待防止法2条の「児童」と同義であり輸血拒否に係る患者が「18歳に満たない者」であれば,上記QAの回答が妥当すると解されます。)この15歳~18歳になるまでの期間の若年層の「本人の意思」について社会は再度、丁寧な考察を加えるべきではないでしょうか。

確かにガイドラインの解説が指摘するように,宗教上の信条から輸血拒否の意思を表明する子ども達のなかには「親の宗教的信条を自己に内面化し自己の信仰として輸血拒否の意識を成熟化させている児童」が含まれている可能性は否定できません。しかしながら、未成年信者の場合にはその成育過程において、親から宗教上の教義を背景とした身体的虐待や心理的虐待を受け、宗教を生活すべてにおいて強制されているケースが類型的に存在するからこそわざわざ厚労省Q&Aが制定されたのではないでしょうか。

ことエホバの証人教団についていえば、2世信者は未成年段階での早期洗礼は珍しくなく、15歳以上18歳未満の年齢で既に正式な信者となっているケースは少なくないと思われ、そのように一度洗礼を受け正式な信者となった後に輸血を受け入れた場合には当該信者は「断絶」(つまり破門)の対象となり得,患者が輸血を伴う治療を受けた後に極めて強固な「忌避」というシステムで信者仲間から絶交される慣行があるなど、従来一般に知られてこなかった教団固有の内部事情があります。なにより15歳以上でエホバの証人教理を理解している児童であるからこそ、その理解ゆえに「輸血を受け入れることにより神の是認を失い、自分は近い将来に来るハルマゲドンで滅ぼされてしまう」という恐怖感を抱き、ますます「本人の意思」として固く輸血を拒否することになるという皮肉な逆転現象とも評価すべき実情が存在するように思われます。

このように,エホバの証人信者を親に持つ子ども達の中には,幼少の頃から長期にわたり,親権者から教義に基づく身体的・心理的虐待を日常的に受けてきたと疑われる児童、そしてそのような虐待により若年期にエホバの証人教理に対する信仰を抱くに至る児童が相当の割合で存在し得る可能性があります。厚労省Q&Aが出された今、こうした「実情」にさらに目を向けて、ガイドラインについてもより丁寧で緻密な議論と考察が今後もたゆみなく積み重ねられてゆくべきではないでしょうか。

7 深刻な懸念点②‐エホバの証人内部の指示

1.エホバの証人の内部書面

子どもの輸血拒否は法律が明確に禁ずる「児童虐待」であること、親権停止により輸血を行う運用があるとはいえそれは1分1秒の時間を争う事態であることを考えたとき、エホバの証人内部においては極めて憂慮すべき「内部指示」がなされているとのご相談が寄せられています。

複数のエホバの証人関係者によれば、エホバの証人内部での教えは一般信者や信者以外の外部の人間でも手にできる出版物により与えられますが、これとは別に、「長老」と呼ばれるごく一部の教団幹部だけがアクセスできる「内部文書」によっても全国的・網羅的に与えられ、この「内部文書」が存在するゆえに日本中・世界中のエホバの証人信者が統一的に教団本部の意向を教えられるという仕組みがとられているようです(しかもこの内部文書は一般信者には手渡してはならないことが明記されているようです)。

そうした大量の内部文書の中に「S55 親として子供を血の誤用から守る」と題する書面があり、その内部書面の中には以下のような点が明記されているとのご相談が2023年に入ってからも寄せられました(下線及び注は当HPが加筆したものです)。

①長老たちは会衆の未成年の子供が医療上の問題に面し血の誤用(注:輸血のこと)に関してはっきりした立場を取る必要が生じたなら親と以下の要点を必ず復習すべきです。

②親は「血を避ける」ことを固く決意し,子供のために輸血を拒否しなければなりません

③親は,子供自身が確信を強め輸血の可能性があるときに自分の信仰を弁明できるよう助けるべきです。これは大切です。

④もし治療を受けることに同意するのであれば,親は子供に輸血を施すことを認めてはいないということを書面に明記すべきです。

⑤病院の用意した書類に同意できない文言が含まれているなら,親にはそうした文言を削除する権利があります。

⑥裁判所の命令が下されることが予想されるなら,親は,弁明したいので何らかの審理が行われるなら知らせてほしいと児童相談所や病院の全ての職員に求めるべきです。

⑦親は裁判所に,輸血拒否はしっかりした宗教的な理由によるものであり,医療そのものを拒んでいるわけではないことをはっきりと伝える必要があります。その際には復活(注:エホバの証人が信じる「たとえ今死んでも将来、この地上で再度、今と全く同じ人間として復活できるという信仰」のこと)を固く信じていることには触れないほうがよいでしょう。理性を欠いていると誤解されることがあるからです。

⑧(裁判官や医師に対して)親は子供に輸血をさせてはいけないと考えているとはっきり告げる必要があります

⑨輸血をするよう裁判所の命令が下されても,輸血をせずに無輸血の代替医療を施すよう医師に求め続けてください。

⑩親は,子供を輸血から守るために前もって準備することにより,洞察力とエホバに頼っていることを示せます。長老たちは,この点で努力する親を誠実に励まし,支えます。

2.疑問点

仮に上記のような内部指示が現に存在するとした場合、その事につきどのように考えるべきでしょうか。以下の表の左には上記各点を、右欄にはそれらへの疑問を示します。

エホバの証人の内部文書に記載されているとされる点 どのように考えるべきか?

①長老たちは会衆の未成年の子供が医療上の問題に面し血の誤用(注:輸血のこと)に関してはっきりした立場を取る必要が生じたなら親と以下の要点を必ず復習すべきです。

児童虐待について教団が加担していることにならないのでしょうか。また、こうした説法は、迷っているかもしれない親が医療ネグレクトをするように決意を強める契機とならないのでしょうか。

②親は「血を避ける」ことを固く決意し,子供のために輸血を拒否しなければなりません

法律が禁じる医療ネグレクトを行うようにという明確な指示ではないでしょうか。

③親は,子供自身が確信を強め輸血の可能性があるときに自分の信仰を弁明できるよう助けるべきです。これは大切です。

まさに15歳以上18歳未満の子供が「自分の意思」として輸血拒否を表明する場合に、実際にはその背後に「抗えない親の圧力」がないかどうかの懸念を生じさせないでしょうか。一般論から言えば、自活する能力がないであろう若年層にとってはこの圧力は相当に強いことが当然に予想されます。

④もし治療を受けることに同意するのであれば,親は子供に輸血を施すことを認めてはいないということを書面に明記すべきです。

法律が禁じる医療ネグレクトを行うようにという明確な指示ではないでしょうか。

⑤病院の用意した書類に同意できない文言が含まれているなら,親にはそうした文言を削除する権利があります。

このような権利は法的に存在しないように思われます。また、この点の理解の齟齬が緊急の治療の現場でさらなる混乱を引き起こさないでしょうか。

⑥裁判所の命令が下されることが予想されるなら,親は,弁明したいので何らかの審理が行われるなら知らせてほしいと児童相談所や病院の全ての職員に求めるべきです。

そのような弁明の機会の時間的余裕がない場合に、緊急の治療の現場でさらなる混乱を引き起こしたり、治療に必要な限られた時間をさらに無為に失わせることにならないでしょうか。

⑦親は裁判所に,輸血拒否はしっかりした宗教的な理由によるものであり,医療そのものを拒んでいるわけではないことをはっきりと伝える必要があります。その際には復活(注:エホバの証人が信じる「たとえ今死んでも将来、この地上で再度、今と全く同じ人間として復活できるという信仰」のこと)を固く信じていることには触れないほうがよいでしょう。理性を欠いていると誤解されることがあるからです。

自分たちの信仰が真摯なもので命を懸けるに値するほど正しいと考えるのであればなぜ隠す必要があるのでしょうか。。

⑧(裁判官や医師に対して)親は子供に輸血をさせてはいけないと考えているとはっきり告げる必要があります。

法律が禁じる医療ネグレクトを行うようにという明確な指示ではないでしょうか。

⑨輸血をするよう裁判所の命令が下されても,輸血をせずに無輸血の代替医療を施すよう医師に求め続けてください。

緊急の治療の現場でさらなる混乱を引き起こしたり、治療に必要な限られた時間をさらに無為に失わせることにならないでしょうか。また、そのような混乱の中で治療にあたる医師の精神的負担はどれほどのものになるのでしょうか。

⑩親は,子供を輸血から守るために前もって準備することにより,洞察力とエホバに頼っていることを示せます。長老たちは,この点で努力する親を誠実に励まし,支えます。

エホバの証人の長老たちが行う行為は「誠実」で適法なものなのでしょうか。それとも法律に反する行為を行う圧力となる側面はないのでしょうか。

内部資料はさておくとしても、そもそも公開されているエホバの証人の最重要機関紙『ものみの塔』1991年6月15日号には次のように書かれています。

「自分の未成年の子供が輸血を受けるかどうかということは、実際のところ親がそれほど規制できることではないと感じている親もいるようです。どうしてこのような誤った見方をするのでしょうか
「親が自分たちの愛する息子や娘に対する輸血を良しとしない決定を下し、同時に、現代医学によって可能になった代替治療を用いるよう求める時、エホバの証人の子供たちは放置されているのでも、虐待されているのでもありません
「輸血療法の危険について考慮するなら、医学的な見地からしても、これは放置や虐待ではありません
「子供が幼くても成人に近い年齢であっても,賢明な親は自分の子供たちとこうした問題について復習することでしょう。親は一人一人の若者が判事や病院関係者が尋ねる可能性のある質問に直面するという設定で,練習の場を設けることができます。

つまりエホバの証人信者である親たちには「子供の輸血拒否は虐待ではない」と明言されているほか、子供達に対してわざわざ事前に練習の場を設けてまで「医師や裁判官の前で輸血拒否について自分の医師で説明するように」と推奨されていることがわかります。このような経緯を経た上で、経済的にも感情的にも完全に親に頼る状況にいるであろう15、16、17歳の若者たちが「自分の意思で」輸血拒否を表明する場合、それが将来にわたって決して後悔することのない「真の意思」に基づく決定であると言えるのかどうか、懸念は生じないと言えるのでしょうか。

3.妊婦に関する指示

なお、こうした幹部だけが手にする内部文書の中には「妊娠中の女性のための情報」と題する書面もあり、その中には以下のような記述があるという旨も寄せられています。

①「分娩後出血: 分娩後出血(PPH)について医師と話し合ってください。PPHは分娩中や分娩後に起きる大量出血のことで,死亡のリスクがあります。」としたうえで、「基本的な対応策が幾つかあります。止血のための内科的外科的処置,自己血回収(セル・サルベージ,血液回収,回収式自己血輸血),血液凝固因子製剤(血液分画が含まれるものもある。)の投与などです。」との記載。

②「緊急子宮摘出術: あらゆる手を尽くしても分娩後出血を止められなかった場合に緊急子宮摘出術に同意するかどうか,産科医に事前に知らせてください。そのような場合に早めに緊急子宮摘出術を行えば,死亡のリスクを減らせます。」 との記載など。

緊急かつ重篤なPPHにおいてエホバの証人が認める「代替治療」にどれほどの意味があるかについては、すでに上述のとおりです。また、エホバの証人がPPHの治療として緊急子宮摘出手術をわざわざ挙げているという事実、及び、そもそもそのような措置が本当に失血への対応として適切なのかどうかなどについて、社会は関心を向けるべきではないでしょうか。

4.子供用に用意されているカードの疑い

エホバの証人の間では長年にわたり「輸血拒否カード」(緊急事態で意識を失った場合などのために「輸血を拒否すること」を宣言・指示した折り畳み式の書面で、首から下げるなどして常に肌身離さず携帯するもの)が使用されていました。

エホバの証人関係者からは、2023年の現在においては、小さな子供が輸血を必要とする事態になったときのための「ic-J」という書面が用意されているとの相談も寄せられています。この書面には、

①表面に「身分証明書」と大きく書かれているものの、一番下の目立つ部分に「医療上の重要な情報が裏面にあります」と記載されており、実際には身分証明書というよりも特定の治療方法についての親権者からの指示書という色彩が極めて強いものであるようです。

②そして裏面は、明らかに治療する医師に対するメッセージとなっており、

ⅰ.まず、赤色で「輸血パックを否定する」大きな目立つ絵が印刷されており、

ⅱ.「エホバの証人である私たちには聖書に基づく信条があり、無輸血の治療を希望しています」「無血性の増量剤などによる治療をお願いいたします」「無血性代替療法に詳しい医師を知っていますので相談することができます」などと記載されています。

もし仮にこのような書面がエホバの証人教団内で運用されている場合、それは厚生労働省がガイドラインで「児童虐待=医療ネグレクト」であると明記する、「医師が必要と判断した治療行為(輸血等)を行わせない」・「輸血を拒否する旨の意思表示カードを携帯することを強制すること」に該当しないか、深く懸念される事態ではないかと考えられます。

8 結論

以上の点から、私たちが「社会が検討を深めてゆくべきではないか」と考えるのは次のような点です。

①厚生労働省が18歳未満の子供に対する信仰の強制行為を「虐待である」と公式に明言した今このタイミングで、輸血拒否の意思表示の尊重の基準が15歳とされている運用について、議論を深めるべきではないでしょうか。

②全てのエホバの証人信者およびその関係者は、実際の大量出血の場面はどれほど緊急性が高いのか、そしてエホバの証人が示す「代替治療」が実際にどれほどの効果がありどのような効果はないのか、日ごろからよく理解すべきではないでしょうか。

③親が子供の輸血拒否をすることは「明白な児童虐待」ですが、親以外の第三者組織が、そうした行為を行うよう親に推奨するという事態は起きていないのでしょうか。もしそのような事態が起きているのであれば、そうした事案に対する対応を社会は考え続けていくべきではないでしょうか。


※なお、輸血拒否についての治療・救命・死亡事案については、統一的なデータは存在しないように思われます。そのため、宗教信条に基づく緊急の輸血拒否事案を経験された方がおられれば、私共にご経験についての情報提供を頂けますよう、広く呼びかけたいと思います(ご連絡については、まずは「お問い合わせ」フォームをご利用ください)。

脚注

  1. 丸山英二,宗教上の理由による輸血拒否と臨床倫理,川崎医科大学附属病院医療倫理研修会資料
  2. 民集 第54巻2号582頁
  3. 「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」 宗教的輸血拒否に関する合同委員会報告
  4. 厚生労働省,宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A,問4−5
  5. 三好邦達,「医学の立場から」,法学教室1992年1月号No136,P46
  6. 教団ホームページ,「聖書は輸血についてなんと述べていますか?
  7. 例えば、エホバの証人が携帯する輸血に関する免責証書には「私は、輸血によって有害もしくは致死的な結果が当患者に及ぶことを望んでおりません。」との記載がある。 出典は東京地裁平成5年(ワ)第10624号。
  8. 東京地方裁判所 平成5年(ワ)第10624号 平成9年3月12日民事第34部判決
  9.  教団サイト,「エホバの証人が輸血を受け入れないのはなぜですか」
  10. 根岸毅,原理主義と民主主義,慶應義塾大学出版会,2003年5月
  11. 教団ホームページ,聖書Q&A「復活とは何ですか」
  12. 海堀昌樹,他,「エホバの証人患者における転移性肝癌切除の1 例」日消外会誌 41 (8) :1655~1660,2008年
  13. 例えば、「ものみの塔」(研究用)  |  2017年6月
  14. 中井 猛他,輸血拒否患者への医療機関の対応,日本輸血学会雑誌 第46巻 第 3
  15. 教団資料,「私たちの王国宣教2006年11月号」保存版
  16. 消費者庁消費者安全課,⼦どもの不慮の事故の発⽣傾向〜厚⽣労働省「⼈⼝動態調査」より〜,令和2年度⼦供の事故防⽌に関する関係府省庁連絡会議資料
  17. 長谷川潤一,妊産婦死亡報告事業 2019 2010年~2019年に集積した事例の解析結果,日本産婦人科医会 医療安全部
  18. 海堀昌樹,他,「エホバの証人患者における転移性肝癌切除の1 例」日消外会誌 41 (8) :1655~1660,2008年
  19. 山岡正和他,ヘモグロビン1.5g/dlの重症貧血患者の治療経過中に合併した心不全,姫路赤十字病院誌 Vol.42 2018
  20. 民集 第54巻2号582頁
  21. 共同通信、2007年6月20日
  22. 日本経済新聞西部版1996年7月9日
  23. 1989年8月23日読売新聞
  24. 丸山英二,集中治療と臨床倫理 倫理的・法的・社会的問題(ELSI)への対応 宗教上の理由による輸血の差控え,日本集中治療医学会 教育講座 
  25. 平成2439日雇児総発03092号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知「医療ネグレクトにより児童の生命・身体に重大な影響がある場合の対応について」