本考察は、2023年11月20日に公表された「宗教団体「エホバの証人」における宗教の信仰等に関係する児童虐待等に関する実態調査報告書」に掲載された内容をそのまま転載したものです(項番等もそのままにしてあります)。エホバの証人信者への迫害・ヘイトはしないようにお願い申し上げます。 報告書の目次 |
Contents
1 鞭(ムチ)とは
(1) 鞭(ムチ)とは、日本のエホバの証人内部において、遅くとも1960年代頃から数十年にわたり行われ続けてきた、信者家庭の子どもに対する組織的な過酷な身体的虐待行為及びこれに伴う過酷な心理的虐待のことである(以下,当該身体的虐待行為・慣習のことを「鞭」という)。
2017年には鞭について鮮烈に描いた元2世信者による書籍が発行され[1]、2022年には全国誌新聞において鞭についての連載記事が掲載され始めたほか[2]、特に、2023年2月以降、日本国内の多くのテレビ番組や新聞等で鞭についての報道が急増し、社会的に認知されるに至ったものと観察される。
(2) なお、当弁護団は、本調査に先立ち、2022年12月8日~2023年2月27日の間、合計約100名の2世等及び親である元信者で自分の子どもに鞭をしたという人に対して予備調査を行った(このうちの19人は録音又は録画を伴った聴取に応じた)。
上記予備調査により多く見られた「類型的な鞭の特徴」は、以下のようなものであった。
① 概要
- まず鞭は、報道等による短い言葉では想像できないほどに苛烈な虐待行為である。証言内容は「身体のミミズ腫れが数週間残存した」・「鞭をされた後、数日は痛みで椅子に座ることもできなかった」・「数十年経っても重度の精神的なダメージを負い続けている」というものが非常に多く共通する。かつてのエホバの証人の宗教施設では「子どもが泣き叫びながら鞭の場所に連れていかれ、そこで殴打されて泣き叫ぶ声が施設内の大多数信者に聞こえ、それでも平然と何もないかのように宗教行為が継続されるのが日常であり、鞭の存在は日本のエホバの証人内で『常識のこと』と扱われていた」という趣旨の証言が大多数であった。
② 態様1
- 「親が『道具』を使用し、子どもの臀部を渾身の力で殴打する」という態様が時代・地域を超えて一貫した明白な特徴として報告された。鞭に使われる道具は、エホバの証人社会内においても各家庭内においても、時を追うごとに変化(悪化)し続け、より子どもに苦痛を与える道具が選択されていった傾向が極めて強い。
また、幹部信者から鞭の道具を指定されたケースがあるほか、信者である親同士で「どんな鞭を使えば子どもが一番従順になるか」という話し合いが恒常的になされ、鞭を自作したり提供しあったりしていたケースが多く報告された。なお、この「臀部への殴打」とは別の類型として、「集会中に集中していなかったり寝ていたりした場合に、いきなりペンで手や足を刺される」という虐待行為も多く報告された。
③ 態様2
-鞭をされる場合、「なぜ鞭をされるのかの理由を子ども自らの口から言わされた」「自分で下着を下ろすことを強要された」「鞭が終わった後に『ありがとうございました』と言うことを強要された」「これらの行為を拒否したりためらったりすると鞭の回数が増えた」「女子の場合、生理が始まっても/生理中であってもかまわず鞭をされた」との報告が類型的に多くみられ、鞭そのものによる身体的打撃のほかに、著しい恐怖感と屈辱感から極めて深刻な精神的打撃を受けたとする報告が多かった。
こうした鞭は、多くの場合、10数年の期間にわたるもので、かつ、その長い年月中に定期的・頻回に行われるものであったとの報告がほとんどであった。
④ 年齢
- 鞭をされる年齢は親が信者になった年代により当然にばらつきが出るが、生まれた時から2世等であった報告者を中心に、「物心ついたときにはすでに鞭をされていた」という報告が多く、しゃべることもできないような幼少期からの鞭行為が日本のエホバの証人社会内で常識化していたことが明白と判断される報告結果であった。
⑤ 鞭をされる理由
- どんな些細なことでも「親がエホバの証人の教えに反する」と判断した場合になされていたとの証言が多く、「子どもをして教団の教理・教団の指示・信者である親に従順にさせること」が明確な一貫した目的であったことは明白である。
集会で寝た/寝そうになった、集中していなかった・禁止されているテレビ番組を見た・信者でない一般の子どもと遊んだ・親や他の信者への態度が悪かった・エホバの証人の教理上ふさわしくない等の理由で使用が禁止されている子ども用の一般的なおもちゃを持っていることが親にばれたなど、鞭をされる理由は鞭行為の過酷さに比較してあまりに些細なものが多いが、しかし、いずれもエホバの証人教理に結びつけられた宗教的理由による身体的虐待である。
また、子どもがバプテスマ(正式な信者となるための洗礼儀式)を受けたのちに鞭がやんだという報告が有意に存在し、子どもをエホバの証人組織内に留め置くことを目的として行われていた行為であることが予備調査においては著しく強く推認された。
⑥ 組織的関与
- まず、予備調査において確認した教団発行の出版物には「子どもを懲らしめる」ことを勧める記述が無数に確認された[3]。これらの出版物には「愛を動機とすべき」・「感情に任せてはならない」との留保が付されるものが確かに多く存在するが、他方で、ものみの塔1954年4月1日号では、子どもに対して鞭により痛みを与える「議論の的となっている問題に私たちは直面せざるを得ません、すなわち、叩こうか?それとも叩くまいか?ということです」との問いに対して、「鞭を惜しんで与えない者は、その子を憎むものである」「傷がつくまでに打つならば、悪い心を清め、打つならば、奥深いところをも綺麗にするであろう」と記載されている。
また、ものみの塔1963年11月15日号689頁では、「『アダムの子孫はみなこらしめが必要です。そして時にはしっかりとこらしめるためにむちで痛みを加える必要があります。・・・ですからエホバのこらしめは,いつの場合もむちをひかえる世間の専門家がすすめようななまぬるいものではありません。箴言 23章13,14節は,もともと実際のむちのことを言っているのです。「子を懲らすことを,さし控えてはならない,むちで彼を打っても死ぬことはない。もし,むちで彼を打つならば,その命を陰府から救うことができる」。ですから両親は時折り,子供に痛い思いをさせて理解させる必要があります。そうして痛い思いをさせても,それで子供が死ぬことはなく,かえってよい影響を与え,子供を保護して「その命を陰府から救う」でしょう。』」との記載が見られる。
このような鞭により子どもを物理的にたたくことを推奨する記載は、教団世界本部及び教団が発行する教団誌や教団出版物において、少なくとも2010年代ころまで確認することができる。
このことからすれば、それはいわゆる玉虫色の表現と解し得るものであり、「巡回監督と呼ばれる幹部による具体的な指示があった」・「鞭をするための場所が教団組織により用意されていた」・「集会場や大会会場において鞭をされて泣き叫ぶ子どもの声はどこでも聞かれ、鞭は教団内で『常識』であった」という趣旨の強い口調の報告が相次いでいることから、積極的であれ黙示の承認による推奨であれ、教団の鞭への組織的関与は否定し得ないものであると予備調査から判断される状況であった。
1954年発行の『ものみの塔』で確認できる鞭についての記載
また、仲間の信者同士から強く推奨されて鞭が行われ続けており、「鞭をしないのであれば子どもを愛していない」という心理状態に信者の親たちが陥り、場合によっては「より過激な鞭をする信者はより熱心な信仰の実践者」とみなされることがあり、こうした風潮により鞭が伝播・常態化・激化していった蓋然性が極めて高いと判断される結果が予備調査で明らかになった。
⑦ 鞭のもたらす長期的影響
- 過酷な鞭が家庭内で相当長期間にわたり行われ続けたため、鞭被害に遭った子どもは大人になってからも数十年に亘り、親との関係を修復できずに苦しむケースが多いことが予備調査で明らかになり、さらに2020年代においても、子育てに悩んだ際に信者である親から「鞭をすればよい」と強く勧められるケースも報告された。
すなわち、鞭問題は、今も現在進行形の問題である。
(3)上記予備調査において、当弁護団に寄せられた鞭に関する経験談の一部を以下紹介する。
【実例1】(現在40代後半の男性の実例)
「一般の人が思い出せる幼少時の最初の記憶というのは何歳くらいのもので、どのような思い出なのだろうかと考えることがあります。私の人生最初の記憶はおそらく3歳くらいの頃のもの、王国会館と呼ばれるエホバの証人の宗教施設で、泣き叫ぶ自分自身の体と口を押さえつけながら、信者であった母が私をトイレに引きずってゆき、何度となく殴打されたことから始まります。当時の王国会館は非常に古い作りで、水を流すための(今でいうトイレのレバーかわりの)「鉄の鎖」がトイレの天井からぶら下がっており、その狭い空間の中で異常としか表現しようのないムチをされ続ける状況を今でもよく記憶しています。この王国会館は東京都内、当時の小岩駅のそばにありました。
小学校に上がる前の幼少期の記憶はほとんどこの「ムチ」の恐怖であったといっても過言ではありません。当時はエホバの証人の集会は週に3回、そのうちの2回は夜の7時に始まりました。その集会のときに眠くてぐずった、集中していなかった、集会場の外で話す言葉が大きかった、他の信者の前で冗談を言ったなどの、幼い子供であれば誰しもがするであろうことについて「ふさわしくない行いをした」という理由で、その王国会館の中又は帰宅したあとの家(帰宅は夜10時ころ)で幾度となくムチをされました。この頃のムチは、母が布団叩きの柄の部分や木製の靴ベラなどおよそ固くて痛みを与えやすい道具を選び、自らズボンとパンツを下ろしてお尻を母に向け、母が渾身の力でお尻を数回、数十回と連打するというものでした。
当時は幼かったために、もちろん確実に正確な年は言えませんが、私が小学校に入学する前後、つまり1980年代の前半から半ば頃にこの「ムチ」に関して決定的な転換点がありました。今も当時もエホバの証人組織には「巡回監督」と呼ばれる非常に権威のある宗教指導者がいますが、この巡回監督が自分の所属していた「会衆」(エホバの証人の信者グループの最小基本単位で、100名くらいが所属していたグループ)を訪問し、全ての信者を対象にした講話を演壇でしたときに、「今のムチの仕方は甘い」という趣旨を強く説法し、この巡回監督自らが「子供に最もダメージを与える」ムチを持ってきて、集会の後に信者の親たちに配ったことがありました。私はこの時のことをとても良く覚えています。というのは、まさにこの日の夜に親にムチをされることになり、その際に姉から「あの巡回監督の話があったから、今日からムチはものすごく痛くなるよ」と言われて実際にそのムチ棒を見せられ、恐怖と絶望に震え上がったからです。また、当時の巡回監督は2年から3年の任期で入れ替わっていきましたが、私は今でも歴代の巡回監督の名前を憶えており、このムチを推奨した巡回監督の名前も顔も覚えています。自分の記憶と歴代の巡回監督の順番を考えると、こうした転換が起きた大体の時期を特定できると考えています。また、何より、この書面を弁護団に提出する際に、なるべく正確に事実を伝えたかったので、今も現役信者である母に当時のことを聞きましたが、母もまた「その巡回監督がムチ棒を配ったのは間違いない、今でもよく覚えている」と言っていました。この巡回監督が配ったムチ棒は通常の人が想像するかもしれない水道やガスのホースとは全く違います。工業用の強化されたゴムホースで、中に非常に細い金属線のようなものが複数本入っていたのを覚えており、しかもやや柔らかくてしなりがあるために体に与えるダメージ・痛みが著しく酷いものでした。当時の私たち子どもにとり、まさに「拷問専門」の道具に他ならないものでしたし、大人になったいまでもその認識は変わりません。
この時点からの「ムチ」はおおむね以下のようなもので、私が成長して体力がつき、母に抵抗できるようになった中学校2年生までずっと続きました(体力面というよりも、その年に私自身が洗礼を受け、正式な信者になったことも大きな理由だと思います)。
まず、「ムチ」をされる理由は、集会や伝道にいくことを少しでもいやがった・集会で集中していなかった・集会の始まる前や終わった後の言動が良くなかった・禁止されているテレビを見ていた・エホバの証人信者以外の学校の友人と遊ぶところを見られた・当時流行していたキン肉マン消しゴムを拾って家に持って帰った・ほかの信者と話すときの態度が悪かったなどの本当に些細な理由でしたし、また、逆に言えば、どんな些細なことでもエホバの証人の教理に少しでも反すると思われると「ムチ」をされました。
「ムチ」をされるときは、「今からムチをする」、「家に帰ったらムチをする」と宣言をされ、この宣言をされた時点で、大げさではなく恐怖と絶望でボロボロと泣き出しましたし、家で宣言されるときはその時点で毎回泣き叫んでいました。つまり、ムチは身体的な痛みとは別に、苛烈な精神的打撃を子供に与えるものであり、客観的に考えても精神的に崩壊しておかしくないレベルの精神的打撃であったことを強調したいです。実際のムチの際は、幼少期と同様、自分でズボンとパンツを下ろしてお尻を出すことを要求され、痛みへの恐怖感からためらってそれができないでいるとストップウォッチで時間を計られ、1分ためらうごとにムチの回数が1回増えました。母はムチ棒を使って渾身の力で1回尻を殴打しますが、たった1回で飛び上がり、転げまわり、泣き叫ぶほどの痛みで、打たれた箇所には2重のミミズ腫れができ、2,3週間は腫れが続き、ムチをされてから数日は椅子に座るたびに痛みがあり、された当日は風呂に入ることもできませんでした。自分が犯した「罪」の大きさに応じて、このムチを1回、3回、5回、多い時は10回と回数を決められ、5回以上される時は泣き叫び、痛みで転げまわるという永遠に続くような時間が1時間、2時間と流れました。そして、子供が決して逃げられない「家庭」の中で、1週間とか、数週間に1回の頻度で、何年にもわたって行われ続けていました。このことに気づいてくれて助けてくれる大人は誰もいませんでした。
こうしたムチは少なくとも私たち家族がいた「会衆」、そして近隣の会衆の子供の大多数がされていました。子供たち同士がその話をしますし、親同士はしょっちゅう「どのようなムチをしたらいいのか」「もっと痛くするにはどうしたらいいのか、今のままでは痛みが足りない、甘い」などと話し合っていました。そうした親たちの会話の中には、「ムチの傷を見られると、信者でない夫や学校の先生に児童虐待していると勘違いされるから、お尻に集中しないとだめだ」というような会話があったこともはっきり覚えています。
勘違いをしないでほしいのは日本全国で巡回監督がムチ棒を配ったのかどうかは自分はわからず、このような子どもの虐待道具が組織的に全国で配られたとか、私が経験したことと全く同じムチが全国で全く同じようにされていたと言っているわけではないということです。ある程度成長してから、エホバの証人の若者同士でムチについての話をする機会は多くありましたし、ムチの方法や道具には地域差があることを知っています。中には「ボールペンで手や足を刺された」というような、私たちの地域ではあまり聞かないようなムチをされたという話も聞いたことがあります。同様に、「ムチをされた後にありがとうございましたと言わないと、更にムチが増えた。それがあまりに屈辱的で精神的打撃が増した」という話を他の人から聞いたことがありますが、私たちの区域ではそのような習慣はなかったです。ただ、そのように地域差があることは、私が間違いなくムチをされて育ったことや、私がされたムチには明確なエホバの証人幹部からの指示があったことを否定することにはならないと思います。同じように、ペンで刺された子が他にいたとしても、私たちがされたムチがそうした虐待行為と違うからといって、彼らがペンで刺されたことを否定する事にもならないと思います。中には、私と同世代で「自分はムチはされませんでしたよ」という人がいるかもしれません。そのように、たまたまムチをされなかった人や、親が熱心な信者ではなかったがゆえにムチをされなかった人が存在したとしても、それが私たち多くの子供が経験した事実を否定する理由にはなり得ないと思います。
母の現在の心情を考えると心が非常に痛みますが、この事実を公表することには社会的意義があると信じています。私は間違いなくこのような虐待を受けて育ちましたし、その虐待はすべて「子供である私がエホバの証人信者として育つこと」、つまり、私に宗教を強制することを目的として行われていたこと、そして、少なくとも私や私の周りの子供達についてはムチについて教団幹部の指示があったことが確実だと考えています。こうした虐待事例があることを社会が知ることはとても大事なことだと思います。エホバの証人組織の広報は、「一部の信者が解釈を誤ってそのような行為をしていたことを聞いたことがある」という声明を出したという一般報道があるようですが、そのような彼らの説明が正しいのか間違っているのか、そして、「彼らがどのような宗教団体なのか」を判断するうえで彼らの説明をどのようにとらえるか、世間の人に問いかけることは社会的意義があると思います。また、私は今では母のことを許していますし、母に愛情を持っています。母は本来は優しく誠実な人で、その誠実さに付け込まれてエホバの証人組織からムチをするようコントロールされたのだと思っています。
【実例2】(現在40代後半の男性の実例)
①自分がムチをされていた地域は、当時在住していた岩手県内である。
②ムチをされていた期間は少なくとも小学校に上がる前後の6歳頃の時から11歳の時まで。
(11歳の時にバプテスマを受け正式な信者とされ、以後はムチはやんだ。)
③使用されていた道具は、最初は洗濯物叩きの棒、次に教団の指導者(主宰監督と呼ばれる立場の長老で、会衆内で一番権威のある長老 注:長老とは各会衆で一番高い地位にいる宗教指導者。)が指定した工業用ゴムホース、そしてベルトなどだった。
④当時は木曜日の夜に集会があったが、その時に上述の主宰監督が演壇で全信者に向けて「ムチにはこういう厳しい道具を使わないとだめだ」と言って工業用ホースの現物を見せて指示したことがあり、それを機にゴムホースが使われた。その後、「しなやかで身体に当たる範囲が大きく、子供に与える痛みがより大きいから」という理由でベルトが多く使われた。 ⑤自分の記憶では、上記の宗教指導者(主宰監督)がムチの現物を見せて指示をしたのは小学校4年生の頃で、1980年代半ばで間違いないと記憶している。なぜなら、自分の父親も長老だったので、私は歴代の長老や巡回監督の名前をよく憶えおり、彼らがその立場にいた時期を逆算し、自分自身が直接見聞きした記憶を重ね合わせると、その時期と特定できる。
⑥ムチの回数は1回につき3発から10発。恐怖感と絶望感で逃げ回るところを部屋の隅に追い詰められ、両親から体を押さえつけられてムチをされた。痣や腫れが2~3週間残り、ムチをされて数日の間は椅子に座ることができない痛みが残った。親がムチで狙った場所が逸れると更に別の種類の激しい痛みがあり、ベルトの金属部分が当たって傷がついたこともあり、その傷は今だにまだ体に残っている(その写真は弁護士さんに提出した)。集会の最中に寝そうになると、目を覚ますためなのか罰としての「ムチ」の一環なのか、ボールペンで手や足をつき刺された。
⑦ムチをされる理由は、集会で眠そうだった・実際に寝た、ということをはじめとして、親の教えるエホバの証人の教えに反すると判断される都度されていた。
※上記の事例1・事例2の二つの実例は、東京・岩手という離れた別地域であるにもかかわらず、「ある時点を境に、エホバの証人の幹部からムチをする道具を指定され、その時期から過酷さが増した」という点において共通しており、さらにはその時期や指定された道具の態様、ムチの内容・理由もほぼ重なるように思われます。
【実例3】(現在30代前半の女性の実例)
①自分がムチをされていたのは埼玉県で、1990年前半から2006年ころまでである。2000年を過ぎても普通にムチは行われていて、中学生時代ももちろんあり、高校生になってされたこともあった。生理中でも全く関係なくムチをされていたし、自分の周りにいた信者の子供たちも大体同じ状況だった。
②素手、ベルト、普通のゴムホース、洗濯機のゴムホース(ゴムホースと言ってもワイヤーが入っていてとても固いもの)など、道具はいろいろと変化していった。泣いたりいやがると数が増えたが、1度にされる回数は最大で33〜40回の殴打だった。これは聖書の中で「イエスが叩かれた回数」が書かれているらしく、その回数を上限とされていたので具体的な回数を憶えている。
③ムチをしたのは両親ともどもで、特にそのうち片方の親については感情のコントロールが効かずにムチをしていたと感じ、愛情を感じたことなどなかった。
④ムチをされると毎回尻が内出血状態を超えて板みたいにガチガチになった。体感では座るとかが無理というレベルを超えて、もう通常の痛覚が麻痺するようになった。学校では体育とかプールで虐待がバレないかが心配だった。
⑤ムチをされる理由は、学校で注意された、集会で寝ていた、親の気に食わない反応の時、お祭り(エホバの証人にとっては異教)に誘われたのを断らなかった、男子とメールした、などの理由。
⑥このムチについては「エホバの証人組織」が指示していたのが間違いないと感じる。集会の経験談や大会の経験談(注:エホバの証人の教えの中で信者が演壇で語る「経験談」は教育内容として重要視されている)でも、ムチの必要性は当然のこととして常時語られていたのを覚えている。とくに、小学生か中学生くらいのとき「巡回大会」(注:エホバの証人が1000人から1500人程度集まる大規模な宗教行事)で、明確に「ムチ」という言葉に言及され、「ムチを惜しむな」という趣旨の話があった後、緩くしていた家庭も激化したことを覚えているし、自分は、両親が仲間信者のうち長老の妻や入信する際の指導役信者にムチをするようにと言われて実行していたのを見ている。
⑦現在も精神的トラウマに悩んでおり、鬱症状やフラッシュバック、今でも見張られてるという感覚があり、エホバの証人をやめた後も「当時の些細な禁止事項」に当たることをすると恐怖感を感じる。また、今も現役の信者としてエホバの証人教団に残っている信者2世の人たちは「ムチのおかげで今の自分がある」とたびたび言っているのを見聞きしているで、その人たちが子供にムチをしないとは到底思えず、彼らの子供たちがとても心配でもある。
【実例4】(現在40代半ばの男性の実例)
①自分がムチを経験したのは滋賀県内でのことである。
②自分自身がムチ被害に遭ったのは1978年~1990年頃の期間。自分が生まれたときには両親はすでにエホバの証人信者だったので、これより前の記憶にない乳幼児の頃にされていた可能性もあるが、自分の記憶があるのは2歳~15歳頃である。
③最初は平手、その後なぜか「手」はふさわしくないということで小学校にあがるくらいからゴムホースや革ベル卜に変わっていった。尻をぶたれ、服を自分で脱ぐようにいわれるなど、自分が知る他の多くの信者家庭のムチと同じ態様であったが、毎回そういうものだったかどうかは記憶にない。というのは、その他にも家から閉め出される・真っ暗な蔵に閉じ込められる・口ごたえをすると頬を強くつねられるなどがあったし、父が長老だったのでいつも模範的でないといけないということでいろいろなムチをされたから。
④ムチの理由としては、主に、集会と伝道に関連して態度がきちんとしていないことが理由。ただ、家庭が長老家族だったこともあり「模範的」信者の子供であることが常に求められ、宗教活動に限らず、親への反抗とみなされれば、どんな些細なことでもムチの対象となった。まさにありとあらゆる理由でムチをされた。
現在は親もエホバの証人としての教理を離れており、非常に良好な関係で当時のことをいろいろ話すが、「子供に愛を示すのならムチをするように」と教団に徹底的に教えられたこと、逆に言えば「ムチをしないのであれば子供を愛していないことになる」という組織の教えに従っていたのだと結論付けている。実際に、エホバの証人が教えに使う出版物には再三「ムチは子供に愛を表わす方法」と述べられていたし「ムチをしない親は子供を憎んでいる」といった話が集会(公開講演、ものみの塔研究、その他の様々な演壇からの話)や、エホバの証人としての活動のありとあらゆる機会になされていた。繰り返すが、今は「エホバの証人は間違っていた」と考え、この教団を離れるように自ら説得してくれた自分の父親本人に何でも聞ける状況にあるので、これは父から直接聞いた話でもある。
⑤自分はそのように育てられた後、自分自身もエホバの証人を信仰するようになったため「親がムチをしてくれたからここに残れてるんだよね」などと信じ込むようになり、自分でも最悪の害と思うこと、つまり「自分自身の子供にもムチをしてしまう」という虐待の連鎖を引き起こしてしまった。お尻を出してムチをするという、いわゆる「みんながやっていたムチ」である。
⑥今回の弁護士さんからの聞き取りに正確に答えるために、聞き取りの後に自分の妻と自分たちのしてきたムチについてよく確認したが、少なくとも2015年まではムチをしてしまっていたことは確実だと夫婦ともに記憶している。また、私たちがいた会衆では、2020年頃までムチをする人たちがいたことを覚えている。というのは、その頃にコロナの影響で「集会で集まりあうこと」が一時的に中止になり、王国会館で顔を合わせる機会がなくなったので確認できるのがその頃までだからであり、私たちが見ていないだけでその後もムチを続けている人がいた可能性は十分にあると感じる。
⑦エホバの証人のムチについては、強調したいことが2つある。
1つは、私の両親も、私たち夫婦も、「ムチをしない親は子供を憎んでいる」とエホバの証人に教えられたからムチをしたということ、もう1つは、私たち夫婦と子供との間ではムチによる親子の亀裂が何年も続き、子供は私を怖がり2人で出かけたりすることを拒絶していたが、幸いにも私の父自身が「エホバの証人の教理は間違いだった」と私たちに気づかせてくれたので子供とも打ち解けて普通の関係を築くことができるようになり、エホバの証人の信仰を実践しなくなった今は、エホバの証人を熱心にやっていたときよりも何倍も何十倍も幸せな親子関係、家族生活を送れているということ。
【事例5】(現在40代前半の女性の実例)
①自分がムチをされていたのは、東京都多摩市。物事ついた頃から13歳くらいまで、身体的暴行というムチを受けていた。自ら下着をおろしてお尻にムチをされ、ずれて背中にあたってもお構いなしだった。2、3回の強烈な打撃が基本のセットだったが、「犯した過ち」の内容に応じて数が増え、ムチが終わった後は「ありがとうございます」と言わなければいけないがなかなか言えず、言うまで追加でムチをされた。
使用された道具は、集会用のエナメル細ベルトで、自宅用は分厚い革ベルト(形状・柄をハッキリ覚えていて、このようなものだったという写真を弁護士さんに送っています。)
②生理が始まり、それを理由に下着を脱ぐことを拒否すると、別の方法で苦痛を与えることが始まった。
「長期間の無視」で、母は全く一言も話をしないばかりか、ムチに値する行為があったと判断すると食事を与えてくれず、その期間は1週間はざらだった。親から食べるものがもらえないので、外で椎の実を集めて自分で炒めて食べたり、家にあった砂糖をなめるなどしていたが、それが見つかるとその砂糖も隠された。中学校3年生くらいまでの期間、それにより酷い精神的ダメージを受けたが、こうした「別の形のムチ」は少なくとも20歳までは続いた
⑤ムチをされる理由は、集会時に寝ていた・集会のときに注解(注:信者が集会中に挙手をして短いコメントをすることで、熱心な信者であることの証とみなされる行為)すると約束していたのに挙手をしなかった・集会で話される教義のメモをとらなかった。・エホバの証人信者ではない子供と遊んだのがばれた・少女マンガなど「一般社会」のマンガを隠して読んでいたのが見つかったなど他にもたくさんあるが、どれも本当に些細なこと、そんなことでそんなことをされるのか、という理由でなにかとムチをされた。ただ、当然それらの理由は「エホバの証人の熱心な信者になる上で弊害となること」とみなされるものばかりだった。
⑥自分がいた会衆の周りの子は、それこそみんなムチをされていた。かなり幼少の子であっても、少しでもぐずると泣き叫ぶ口を押さえられ、王国会館内でムチをされて大泣きするのが信者みんなに聞こえるのが普通の光景だった。これを私がよく覚えているのは、それを見て逆に「親に暴行されるのは普通のことなのだ」「うちだけが異常なのではない」と感じて異常ともいえる安心感を覚えていたからだ。少なくともそうした「ムチが常態化している状況は」1997年頃まで目にしていたことを覚えているし、子供がぐずってもムチをしに行かない人がいると信者メンバーが露骨に非難するのをこの耳で間違いなく聞いている。
⑦現在でも、未だに「集会でコメントするための挙手ができず『帰ったらムチ』と言われる夢をみる・母がムチを輪っかにして左右に引っ張り大きな音を立てる夢をみる・母と同じこと(ムチなどの虐待)をしてしまう気がして子供を持つことが出来なかったなどの問題に悩まされている。なお、エホバの証人の信仰を離れた私は、現在、母親に拒絶されており、直接の会話もやりとりも一切できない状況で、信者である親族から伝言ゲームのように母からメッセージがくるだけである。
【実例6】(現在50代の女性の実例、母親として鞭を行った経験)
①私は加害者側のエホバの証人1世元信者です。
②私が子供にムチをしていたのは、1980年代の終わりから90年代の終わりころの期間であり、子供が2歳半〜10歳位の時でした。場所は千葉県です。
③ムチをする道具としては、最初は手、次にものさし、そして革ベルト→電気コード→ガスホースというようにどんどん酷い痛みを与えるものに変わっていきました。それは周りの信者から「とにかくこれをつかうようにと指示されてのことであり、だんだん子供に与える痛みがつよくなる道具に代わっていったから」でした。
④ムチをする理由としては、子供が研究、集会、大会中に喋ってしまった時・反抗した時、エホバの証人教理で禁止されるものを持っていた時などでした。
⑤自分が初めてエホバの証人の集会に行った時のことをよく覚えています。当然、子供は静かにできなかったので王国会館内の本会場にいることができませんでした。そのため「静かにできるようになったらまた行きます」と自分の司会者に話したところ「子供の命がかかっている」と言われ、すぐに家での『子供の訓練』が始まりました。 自分の司会者のお子さんが私の子供より半年ほど上のお嬢さんで、その子を目の前で鞭うたれているのを見せられました。それから私も促されて自分の子を手で叩くようになりましたが、手で叩くと子どもに悪い影響があると言われ、必ず道具を使うよう勧められました。
⑥当時所属していた千葉県内の会衆にある王国会館には鞭が「鞭用の部屋」(給湯所だったと記憶しています)のシンクの引き出しに用意してありましたし、そこには数種類のムチがあった記憶です。そのうちの一つは、太いゴム製の真っ黒い棒でとても重量があるものでした。私はとてもそのようなものは使えませんでしたし、それこそまさに子供の体の骨にまで響くような重量で、今でも寒気がするほどなので、よく記憶しています。それを使う人はあまりいなかったと思います。
⑦いつ頃からか「鞭は家庭でするように」と言われた記憶があります。 私の子どもはとても活発でおしゃべりでしたので、いつも鞭が足りないといろいろな別の信者の方たちから言われました。集会中、私が集会場の演壇に行って自分の聖書発表の割当を行っている間に、親でもない会衆の開拓者の姉妹が静かにできなかった子どもに鞭をしたこともありました。
⑧エホバの証人組織及び信者からの明確かつ具体的な指示(私の視点からは「強制」としかいいようがないものです)があったので、私は子供にムチをしましたし、このような指示・強制がなければムチをしなかったのは間違いないと確信しています。今は深い後悔をしており、自分の過去の行いを正確に伝えることで、そうした被害に遭った2世の子供達の心が救われることに少しであっても役立ちたいとの迫られるような思いから自分の経験をお伝えすることにしました。
【その他の事例】
当弁護団が、上記予備調査においてデータ化できた鞭に関する経験数だけでも76件に上った。「録音を伴う長時間の聞き取り」に応じて下さった他のいくつかのケースについて、以下のとおり、一覧表の形で掲載する。
年齢 性別 |
地域 |
時期 |
道具・ムチの理由・被害態様 |
|
7 |
48歳 女性 |
茨城県 |
5歳から14歳 1980~1989年頃 |
①ムチの道具は、ゴムホースの中にワイヤーを何本も入れたものが良しとされ、同じ物が私の家にも王国会館にも置いてありました。それは自分の親も含めた周りの信者たちが「なるべく子供に強い痛みを与えるようにわざわざワイヤーを入れたもの」で、つまり子供により苦痛を与えるための手作りの道具で、しかも親の手が痛くならないようにムチ棒を持つための「持ち手」を作っていました(ワイヤーを捻ってそこに持ち手のひもを作っていました)。 ②集会中のよそ見、居眠り、親の機嫌を損ねる、周りへの体裁等の理由でムチをされました。ムチをされるとミミズ腫れが体に残りました。集会中にちょっとよそ見をしただけで母親は指で「あと何回よそ見をしたら鞭を打つ」というカウントをしていて、1度の集会で何人もの子供が外に引きずられ、地獄の様な時間を過ごしました。鞭への恐怖心から集会に来る度に吐いている子もいました。当時のエホバの証人の大会会場のトイレは全て鞭打たれる子供達の為埋まっていました。 / ①王国会館の玄関には鞭が置いてありその鞭の作り方を母親達と特別開拓者(女性二人)が模索していました。未だに覚えているのは「泣いているうちは子供は反省していない。ミミズ腫れになるほど鞭打ちひきつけを起こすくらいが良い」と母が言われていた事です。あまりにショッキングな会話でしたので今でも言葉通り鮮明に覚えています。こうした会話は何度も何度も繰り返されていたので、忘れたくても忘れようがないです。 ②自分の親を含めた複数の親たちはわざわざムチを作るために王国会館に集まりあって、そこでムチをみんなで作って、家庭にもちかえって使いました(当時6歳くらいだった私は自転車に乗せられてその異常なムチづくりの集まりに一緒に連れていかれたことからあまりに鮮明に覚えているので、間違いありません)。 ③今振り返ると、状況が異常すぎて、当時子供であった私が状況を咀嚼して言語化するのは到底不可能でしたが、とにかく子供時代に凄まじい恐怖感に支配されていたこと、そして、「エホバの証人の教えに少しでも背くとムチをされていた」ということを間違いなく言えます。 |
8 |
34歳 女性 |
愛知県 |
4歳~17歳頃 1992年~05年頃 |
①ムチの道具は竹ものさし30cm・プラスチック30cmものさしから始まり、90年代後半からは他の親信者から「受け継がれた」加工されたムチ棒に代わっていきました(長い靴ベラのように加工されていて、しなりが入っているので、より痛みが増すように自作されたものを別の信者から母が受け継いで手渡された。お手製のムチ用の袋までついていた。その袋の色や、素材などの特徴もよく覚えているので間違いないです。) ②集会中に寝てしまった、子どもなりの小さい嘘をついた、家での聖書研究中邪魔になった、親から「学校で、先生に布教するように」と言われたがそれができず「した」と嘘をついたのがばれた、自分は小さい時にかたつむりを書くのが好きだったのですが、家庭聖書研究中にそのかたつむりをひたすらエホバの証人教団の本に書いたなどの理由でムチをされました。 ③多くの他の子供と同じように、自分で服も下着を脱いでお尻を出して酷く殴打されました。痛みや恐怖・屈辱感で泣き叫んで地団駄踏んでいるために「ムチが遅れる」と回数が増えました。兄と一緒にムチをされることが多く、されるのを待つ側は正座をしてその姿を見なければならず、今思い出してもすさまじい精神的打撃でした。 ④思春期になってもムチの方法は変わらず、その頃には恐怖もそうですが、激しい屈辱と怒りの感情が強く、刃物があれば間違いを犯していただろうと今でも思います。 ②20歳の時にエホバの証人教団を去りましたが、母からは今でも口癖のように「あなたに振り回されてもう縁切る」と脅しのように言われます。正直私は関わりたくないし振り回されてるのは私です私の子どもが4歳になり母がすごい鬼のような表情で兄にムチしてたのがフラッシュバックするようになりました。そりゃやんちゃで頭ペちくらいはしますけどそんな内出血するくらい叩くことが出来たのかと思うとほんと恐ろしいと思います。 二世の1番の被害はムチももちろんですが普通の学校生活が送れないことではないでしょうか?” |
9 |
40歳 男性 |
千葉県 |
3歳~14歳頃 |
①使用道具については、私の記憶ですと本当に幼い頃は平手でお尻を直に叩かれていました。しかし、ある時を境に不要になったビニール革製のベルトを二重三重に折り重ねられた上にガムテープでぐるぐる巻きにされたお手製の鞭に変わりました。②「懲らしめ」という名のつく体罰・児童虐待ですが、私にとっても恐怖そのものでした。事前に何発叩くか、などという宣言はうちにはありませんでした。母親の気が済むまでが終わりの時間だったように思います。それはいつ終わるのかがわからないという逆の意味での怖さでした。なぜ自分が叩かれるのかムチの開始前に自分の口から言わされ、それ自体が酷い精神的屈辱でした。少しでも母親の意思にそぐわない答えをすると激昂されさらに叩かれる、痛みを庇おうとして叩かれる箇所に手をやると、その手もろとも容赦なく鞭が振り下ろされました。手もお尻もミミズ腫れで真っ赤になり、泣けば泣くほど母親の怒りはヒートアップしていき、息を止めて涙が溢れ出すのを必死に堪えました。もう何が正解なのかも全くわからなかった。とにかく母の判断で「エホバのご意志」に反するとされればどんな正解を言っても容赦なくムチをされました。 ③鞭をされた理由については、集会や奉仕・聖書研究の時に落ち着きがなかった、集会中にあくびをした、野外奉仕の家から家の訪問中に楽しくなさそうな顔をしていた又は笑顔がなかった、禁じられたテレビを見ていた(具体的にはドラゴンボール),ドラゴンボールの筆箱を友達からもらって隠れて使っていた、カードダスを持っていた、必殺技の真似をした、ふさわしくない言葉遣いをした、友達と遊ぶときに布教をしなかった、集会の日にギリギリの時間まで外で遊んでいた、など思い出したらきりがないですが、全ては「模範的なエホバの証人の子供」と母が考えるものと少しでも反すれば、すべての理由でムチをされました。 |
10 |
40代男性 |
埼玉県 青森県 千葉県 埼玉県 北海道 埼玉県 神戸 神戸 (別会衆) 神戸 (別会衆)神戸 (別会衆)静岡県 神戸市 |
1977〜1985年 |
①道具は最初はプラスチック製ものさし。途中からより強力なアルミ製のものさしにいったん変わりましたが、親がすぐにほかの信者たちから情報を仕入れ、ガスコンロにつなぐようなゴムホースに代わりました。歳下の妹や弟たちの頃にはこちらのゴムホースが主流となってました。 研究司会者も、自身の娘を厳しく鞭打って従順にしつけるよう、さらにその研究司会者から指導されたと語っていました。埼玉県坂戸会衆では、巡回訪問の食事招待でソワソワする子を巡回監督として来ている人が「これは鞭ですね」と、よその子を叩くよう命令していたのをよく覚えています。 母親は「あなたがハルマゲドンで死んで泣くくらいなら、いま私の鞭を受けて泣くほうがいいに決まっている」と言っていたとおり、幼い頃から鞭の恐怖を植え付けることで、エホバの証人から離れることへの恐怖に結び付いたことは間違いありません。 自分は鞭を受けてエホバの証人には育ったものの、実際自分が親になってみると我が子がかわいくて、とても鞭打つことなどできなかった。そのため自分の母親と近い年代の信者たちからは「わたしたちの時代は、もっと厳しく子供をしつけたものだ」と、かなり威圧的に迫られたりしました。また、自分の息子と近い年齢の若者が、いまだ昔と変わらない鞭打ちを体験していると本人から聞かされ、非常に心配したこともあった。 |
11 |
40代 |
大阪 東京 |
2世として生まれたのでおそらく0歳の時から13歳まで。 1970年後半から1990年頃 |
① 王国会館のトイレにムチが備え付けだった。そのムチは、以前滝本太郎弁護士が図で示したもの(手作りで強化されたムチ)と同じもの。靴べらやホース、ベルト、布団叩きなどもありました。 東京の王国会館地下室に防音室があったのでそこでされた。 ②された理由は、集会で眠った時もそうだが、足に健康上の問題があって、座っていられなくなる時があって、足を何度も移動させている時などによくムチ部屋に連れて行かれました。他はもう覚えていません。 エホバの証人組織側の関与: 私の母は正規開拓者で特にムチ推奨だったため、叩けない他の信者に叩くように指示を出して、目の前で叩かせていました。その方は叩いた後に子供を抱いて泣いていましたが、母は誇らしげで恐怖を覚えたのをはっきり覚えています。 母はムチを愛の鞭と言っていて、愛するからこそ鞭でこらしめるのだと言っていました。 親の無性の愛があるからこそこれだけ叩いてもらえるのだと。 |
12 |
30代 女性 |
千葉県 |
(記憶にはないが)生まれた時~中1まで |
鞭は必ず父が行なっていましたので自分の履いているズボンのベルトを使うか、布団叩き、あとゴムホースも使っていました。 往生際の悪い兄は鞭をされる前に「ちょっと祈ってもいいですか」と言い始め、「どうか痛くありませんように、鞭の回数が少なくなりますように」と延々と祈るので、父も段々イライラしてきて結局30回ぐらい叩かれていた記憶があります。 鞭をされた後は必ずありがとうございましたとお礼を言っていました。 |
13 |
50代 |
兵庫県 京都府 |
1960年代後半~70年代前半 |
①物差し、布団たたき、ゴムホース、男性用ベルトでされました。 ②母はエホバの証人組織の提案通り、会衆の他の信者達と示し合わせて、主に集会中にプログラムに集中していないなどの些細な理由で私たち兄妹を王国会館の廊下で叩きました。 ③回数は、10〜20だったと思います。だんだん感覚が無くなり、「死んだらこうなるのかな」と妄想の世界に逃げ込んでいました。 他方で、「懲らしめが必要です」なんて巡回監督の訪問の後に言われると、その日からどの姉妹たちも激しく子供を廊下に引っ張っていくので、恐怖でした。巡回監督の指示次第でムチの激化が起こっていたと言えます。 会衆の姉妹(女性信者達)達は、どの鞭が効き目があるか、集会の後、鞭の見せ合いを毎回やっていました。はっきり覚えています。表面が赤くなるが内部の肉まで裂けない素材は何か?なんて嬉々として研究していて中が空洞のゴムホースは最適だと親達が話していたのを鮮明に思い出せます。 集会中、子供が泣き叫びながら引き摺られていく光景は、ごく当たり前の日常的な光景でした。子供がどんなに大声で「ギャーごめんなさ〜い!ごめんなさーい!」と叫んでいても集会は続行され、演壇から話している兄弟は、全く動じず、まるで聴こえていないかのようでした。それは本当に異常な光景でした。 大会でもトイレに行くと、女子トイレは、鞭の列なのか、トイレの列なのか、分かれて並んでいていつも「こっちです」と言ってはぞっとしたのを覚えています。 異常としか言えないムチが当然のこととして横行していた80年代、90年代にエホバの証人組織にいた方で「ムチを知らない」などという方が果たしているのだろうか、もしそうなら何を見てきたんだろうと本当に思いますし、この問題が世間の目に明らかとなってくれることを強く切望します。 |
14 |
30代 男性 |
北九州の複数の会衆 |
2~12歳頃 |
①道具は、普通のガスホースを「わざわざクロスさせ交わった部分を縛って」子供への苦痛を強化した手作りのムチ(その色も今もしっかり覚えている。ホースはオレンジ系・縛る部分は黒。) そう言いきれる具体例を挙げると、例えば中学生の頃などに「ムチマウント」のような会話、子供たち同士で「自分がどれだけ酷いムチをされたか」「何々君のほうはまだ甘いな」とか、「それでもあれはさすがにやりすぎなので、自分に子供ができたら到底できない」という会話などがあった。 |
15 |
30代 女性 |
埼玉県 |
小学校に上がったころから小3まで |
①素手に素尻で20回ときまっていた(成人女性の力いっぱい)。 ただ、母は長老の妻であった司会者から、ホースや手製の謎のムチ道具を手渡され「これを使ってムチをするように」と言われて非常に戸惑っていた様子を目撃しています。 「私は自分も痛い素手を選ぶ」と私と自分に言い聞かせるように言っていたのを覚えており、それで私の場合は素手で済んだと思います。また、会衆の移動があり、過酷なムチを母に迫っていた信者がいない場所に移動した後は、ムチはパタリと止まりました。 自分としては、イヤイヤながら「ムチをするようにという」指示に従った人たちが口を塞がれているような雰囲気を感じます。私はバプテスマを受けていなかったので、エホバの証人を離れても「排斥」処分にならなかったので母は自分の孫とも普通に会えていますが、母の友人信者は、子が排斥となり、関係が断絶している人が多く、孫とも会えない人が多いです。そうした人たちが家に来るときは、母はその人たちの心情を思い計って、来客の都度、孫に関わるものはしまっています。 |
※上記のような予備調査結果を経て、本件調査が行われたものであり、以下、本件調査結果について具体的に示す。
本考察は、「宗教団体「エホバの証人」における宗教の信仰等に関係する児童虐待等に関する実態調査報告書」に掲載された内容をそのまま転載したものです。本報告書は2023年11月20日に公表されたものです。エホバの証人信者への迫害・ヘイトはしないようにお願い申し上げます。 |
第3 鞭(ムチ)について
1 鞭(ムチ)とは
(1) 鞭(ムチ)とは、日本のエホバの証人内部において、遅くとも1960年代頃から数十年にわたり行われ続けてきた、信者家庭の子どもに対する組織的な過酷な身体的虐待行為及びこれに伴う過酷な心理的虐待のことである(以下,当該身体的虐待行為・慣習のことを「鞭」という)。
2017年には鞭について鮮烈に描いた元2世信者による書籍が発行され[1]、2022年には全国誌新聞において鞭についての連載記事が掲載され始めたほか[2]、特に、2023年2月以降、日本国内の多くのテレビ番組や新聞等で鞭についての報道が急増し、社会的に認知されるに至ったものと観察される。
(2) なお、当弁護団は、本調査に先立ち、2022年12月8日~2023年2月27日の間、合計約100名の2世等及び親である元信者で自分の子どもに鞭をしたという人に対して予備調査を行った(このうちの19人は録音又は録画を伴った聴取に応じた)。
上記予備調査により多く見られた「類型的な鞭の特徴」は、以下のようなものであった。
① 概要 - まず鞭は、報道等による短い言葉では想像できないほどに苛烈な虐待行為である。証言内容は「身体のミミズ腫れが数週間残存した」・「鞭をされた後、数日は痛みで椅子に座ることもできなかった」・「数十年経っても重度の精神的なダメージを負い続けている」というものが非常に多く共通する。かつてのエホバの証人の宗教施設では「子どもが泣き叫びながら鞭の場所に連れていかれ、そこで殴打されて泣き叫ぶ声が施設内の大多数信者に聞こえ、それでも平然と何もないかのように宗教行為が継続されるのが日常であり、鞭の存在は日本のエホバの証人内で『常識のこと』と扱われていた」という趣旨の証言が大多数であった。
② 態様1 - 「親が『道具』を使用し、子どもの臀部を渾身の力で殴打する」という態様が時代・地域を超えて一貫した明白な特徴として報告された。鞭に使われる道具は、エホバの証人社会内においても各家庭内においても、時を追うごとに変化(悪化)し続け、より子どもに苦痛を与える道具が選択されていった傾向が極めて強い。
また、幹部信者から鞭の道具を指定されたケースがあるほか、信者である親同士で「どんな鞭を使えば子どもが一番従順になるか」という話し合いが恒常的になされ、鞭を自作したり提供しあったりしていたケースが多く報告された。なお、この「臀部への殴打」とは別の類型として、「集会中に集中していなかったり寝ていたりした場合に、いきなりペンで手や足を刺される」という虐待行為も多く報告された。
③ 態様2 -鞭をされる場合、「なぜ鞭をされるのかの理由を子ども自らの口から言わされた」「自分で下着を下ろすことを強要された」「鞭が終わった後に『ありがとうございました』と言うことを強要された」「これらの行為を拒否したりためらったりすると鞭の回数が増えた」「女子の場合、生理が始まっても/生理中であってもかまわず鞭をされた」との報告が類型的に多くみられ、鞭そのものによる身体的打撃のほかに、著しい恐怖感と屈辱感から極めて深刻な精神的打撃を受けたとする報告が多かった。
こうした鞭は、多くの場合、10数年の期間にわたるもので、かつ、その長い年月中に定期的・頻回に行われるものであったとの報告がほとんどであった。
④ 年齢 - 鞭をされる年齢は親が信者になった年代により当然にばらつきが出るが、生まれた時から2世等であった報告者を中心に、「物心ついたときにはすでに鞭をされていた」という報告が多く、しゃべることもできないような幼少期からの鞭行為が日本のエホバの証人社会内で常識化していたことが明白と判断される報告結果であった。
⑤ 鞭をされる理由 - どんな些細なことでも「親がエホバの証人の教えに反する」と判断した場合になされていたとの証言が多く、「子どもをして教団の教理・教団の指示・信者である親に従順にさせること」が明確な一貫した目的であったことは明白である。
集会で寝た/寝そうになった、集中していなかった・禁止されているテレビ番組を見た・信者でない一般の子どもと遊んだ・親や他の信者への態度が悪かった・エホバの証人の教理上ふさわしくない等の理由で使用が禁止されている子ども用の一般的なおもちゃを持っていることが親にばれたなど、鞭をされる理由は鞭行為の過酷さに比較してあまりに些細なものが多いが、しかし、いずれもエホバの証人教理に結びつけられた宗教的理由による身体的虐待である。
また、子どもがバプテスマ(正式な信者となるための洗礼儀式)を受けたのちに鞭がやんだという報告が有意に存在し、子どもをエホバの証人組織内に留め置くことを目的として行われていた行為であることが予備調査においては著しく強く推認された。
⑥ 組織的関与 - まず、予備調査において確認した教団発行の出版物には「子どもを懲らしめる」ことを勧める記述が無数に確認された[3]。これらの出版物には「愛を動機とすべき」・「感情に任せてはならない」との留保が付されるものが確かに多く存在するが、それはいわゆる玉虫色の表現と解し得るものであり、「巡回監督と呼ばれる幹部による具体的な指示があった」・「鞭をするための場所が教団組織により用意されていた」・「集会場や大会会場において鞭をされて泣き叫ぶ子どもの声はどこでも聞かれ、鞭は教団内で『常識』であった」という趣旨の強い口調の報告が相次いでいることから、積極的であれ黙示の承認による推奨であれ、教団の鞭への組織的関与は否定し得ないものであると予備調査から判断される状況であった。
また、仲間の信者同士から強く推奨されて鞭が行われ続けており、「鞭をしないのであれば子どもを愛していない」という心理状態に信者の親たちが陥り、場合によっては「より過激な鞭をする信者はより熱心な信仰の実践者」とみなされることがあり、こうした風潮により鞭が伝播・常態化・激化していった蓋然性が極めて高いと判断される結果が予備調査で明らかになった。
⑦ 鞭のもたらす長期的影響 - 過酷な鞭が家庭内で相当長期間にわたり行われ続けたため、鞭被害に遭った子どもは大人になってからも数十年に亘り、親との関係を修復できずに苦しむケースが多いことが予備調査で明らかになり、さらに2020年代においても、子育てに悩んだ際に信者である親から「鞭をすればよい」と強く勧められるケースも報告された。
すなわち、鞭問題は、今も現在進行形の問題である。
※上記のような予備調査結果を経て、本件調査が行われたものであり、以下、本件調査結果について具体的に示す。
2 鞭による被虐経験
(1) 鞭による被虐経験の有無
設問 |
鞭をされたことがありますか? |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人を対象に作成した。 |
結果と考察 |
回答者の92%、514人が鞭を経験したと回答した。 |
(2) 鞭は何歳ごろに始まり、何歳ごろに終わるか
設問 |
図中に示している。 |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で鞭をされたことがあると回答した人を対象とし、横軸を年齢、縦軸を人数で作成した。 |
結果と考察 |
鞭の多くは0歳代に始まり、十代まで継続する様子が見て取れた。 ※なお、本調査では生まれた時点で2世等であった回答者が多かったことから、0歳代から始まっているケースが多いと思われる。いずれにしても、2世等は、エホバの証人の教理にかかる信仰を持つことが困難な幼年期から鞭を受けてきたことがわかる。
|
(3) 鞭が行われた年
設問 |
「鞭は何歳頃に終わりましたか」という設問から当弁護団でその年を計算した。 |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で鞭をされたことがあると回答した人を対象とし、横軸を「鞭を最後にされた年」、縦軸を人数で作成した。 |
結果と考察 |
①過去のエホバの証人による身体的虐待が量的に確認された。 ②少なくとも1972年以来、40年以上にわたり日本のエホバの証人において、子どもへの鞭がなされていたことが判明した。 留意点 ①本調査の回答者は30〜50代の離脱者が中心であり、本データは主に過去の情報であることや、現役信者の回答は相対的に少ないこと、現役信者でかつ鞭をされる年齢の児童の回答はさらに少ないことから、本データはエホバの証人の鞭が減少傾向を示すものではない。 ②「現在も継続中」との回答があるものの、「現在も継続中」とした回答者は現在成人しており「児童虐待」とは言えず、また家庭の事情も強く影響しているように見えるため、本調査では取り上げていない。 |
(4) どのような鞭が使われたか
設問 |
どのような鞭が使われましたか? あてはまるものをすべてお選びください。 |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で鞭をされたことがあると回答した人を対象とし、横軸を「どのような鞭が使われたか」、縦軸をその人数で作成した。 鞭が始まった年齢を18歳未満と回答した人のみを対象とした(始まった年齢が18歳以上と回答した人はいなかった)。 %の数字はそれぞれの回答人数を「鞭をされたことがある」と回答した514人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
多くの場合、複数の鞭が使われた。 例えば、素手だったものがベルトに変わり、ホースに変わり、ガスホースに変わるなど、徐々に痛みの強いものであれば入手困難なものでも入手して鞭を作るなどの様子が本調査でも見て取れた。 「巡回監督の◯◯氏が鞭を持ってきた」「巡回監督の◯◯氏が指導した」など特定の人物名を挙げたコメントも目立った[4]。 |
(5) 鞭による強要や脅迫と感じる要求の有無
設問 |
エホバの証人の親などの保護者から、鞭をする旨の告知を受けて、強要や脅迫と感じる要求を受けたことがありますか。例えば、「〜しなければ鞭をする」などの言葉がこれにあたります。 |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で鞭をされたことがあると回答した人を対象に作成した。 |
結果と考察 |
①鞭は身体的虐待だけでなく、鞭の恐怖を背景にした心理的虐待が不可分一体のものとしてもたらされた事実が浮き彫りになっている。 ②鞭に伴う著しい恐怖・屈辱感・これによる長期にわたる健全な親子関係の破壊の訴えは、調査結果における顕著な要素となっている。 |
(6) より痛みの強い鞭に関する信者同士の情報交換
設問 |
保護者の方や周囲の信者が「より痛みの強い鞭」や「その作り方・やり方」について話をしているのを聞いたことがありますか?(一つお選びください) |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で鞭をされたことがあると回答した人を対象に作成した。 |
結果と考察 |
大半が「より痛みの強い鞭」に関しての情報交換が信者同士で行われていたと回答した。 |
(7) なぜ鞭をするのか
設問 |
鞭をすることについて、下記のような事象をご経験されたことがありますか? あてはまるものをすべてお選びください。 |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で鞭をされたことがあると回答した人を対象とし、横軸を「鞭をすることについて経験した事象」、縦軸をその人数で作成した。 鞭が始まった年齢を18歳未満と回答した人のみを対象とした(始まった年齢が18歳以上と回答した人はいなかった)。 %の数字はそれぞれの回答人数を「鞭を・されたことがある」と回答した514人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
①集会や大会、周囲の信者の働きかけ、出版物での記載など、教団の組織的な関与が上位である。 ②周囲の信者の促しがこれに続き信者の相互監視・促進の様子が推認できる[5]。 ③巡回監督や長老による促進、及び、「鞭用の部屋」(正確には授乳室などと兼用)や「備え付けの鞭」の存在など、組織的関与がなければなし得ないであろうことも行われてきたことが明白と思われる。 |
(8) 鞭を受けた場所
設問 |
あなたが鞭を受けた場所はどこですか?あてはまるものをすべてお選びください。 |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で鞭をされたことがあると回答した人を対象とし、横軸を「鞭を受けた場所」、縦軸をその人数で作成した。 鞭が始まった年齢を18歳未満と回答した人のみを対象とした(始まった年齢が18歳以上と回答した人はいなかった)。 %の数字はそれぞれの回答人数を「鞭をされたことがある」と回答した514人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
①大勢の信者が集う「王国会館」や「大会ホール」(いずれも教団施設である)で公然と鞭が行われており、幹部信者を含む大多数の信者が、信者による子どもへの鞭を見聞きしながらエホバの証人内の「常識」・「宗教教育の一環」として受容していたことは明らかである。 ②「大会ホールに鞭専用部屋があった」「王国会館に備え付けの鞭があった」との回答があるなど、教団が信者が「鞭」を打つことを促進(どんなに控えめに評価しても容認)していたことが本調査結果から明らかとしか判断のしようがない。 |
(9) 鞭をされた理由
設問 |
あなたが鞭をされた理由はどのようなものでしたか? あてはまるものをすべてお選びください。 |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で鞭をされたことがあると回答した人を対象とし、横軸を「鞭をされた理由」、縦軸をその人数で作成した。 鞭が始まった年齢を18歳未満と回答した人のみを対象とした(始まった年齢が18歳以上と回答した人はいなかった)。 %の数字はそれぞれの回答人数を「鞭をされたことがある」と回答した514人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
①鞭をされた理由として、「親に従順でなかった」以外では、信者以外との交友禁止、特定の(しかしごく一般的な)娯楽禁止、集会への参加強制、伝道への参加強制など、宗教虐待Q&Aで挙げられた虐待が続く。 ②鞭そのものが身体的虐待であるが、この過酷な虐待を軸として、さらに別の種々の児童虐待が行われた(ほかの児童虐待を実行するための威嚇手段として長年用いられ続けていた)ことが量的に確認された。 |
(10) 鞭による精神的不調
設問 |
鞭されたことは、その後の身体的・精神的な不調につながったと感じますか?(一つお選びください) |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で鞭をされたことがあると回答した人を対象に作成した。 |
結果と考察 |
回答者の64%、330人が「不調に繋がったと感じる」と回答した。 |
(11) 鞭に対する幹部信者の認識
設問 |
あなたからみて、子どもに対する鞭が行われていることに対する、あなたが所属していた地域・会衆の巡回監督や長老など幹部信者の認識はどのようなものでしたか。以下から最もあてはまるもの一つをお答えください。 |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で鞭をされたことがあると回答した人を対象とし、横軸を「あなたからみて、子どもに対する鞭が行われていることに対する、あなたが所属していた地域・会衆の幹部信者の認識はどのようなものだったか」の選択肢とし、縦軸をその人数で作成した。 鞭が始まった年齢を18歳未満と回答した人のみを対象とした(始まった年齢が18歳以上と回答した人はいなかった)。 %の数字はそれぞれの回答人数を「鞭をされたことがある」と回答した514人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
①教団幹部が鞭を指導していたという回答が大半だった。 ②自由記述欄では、鞭を指導した人物(巡回監督)の実名をあげて極めて影響力の強い人物が指導していたという証言があった。 |
(12) 鞭経験に関する自由記述の回答例
設問「その他、鞭が始まったきっかけやどのように鞭がされたか、組織の働きかけがあったとお感じになる場合は、それがどのようなものであったか、お気づきのことをご記入ください。可能な限り詳細な情報であると調査の信ぴょう性を高めるものとなり大変参考になります。なければ「なし」とご記入ください。」という問に対する個別回答の一部を以下に示す。
197◯年頃から集会に行き始めた頃から鞭は日常的でしたし、第二会場では必ず誰かしらが鞭をされて泣き叫ぶ声は聞こえていました。特に夜の集会の2時間目、奉仕会では子ども達の集中力が切れますので毎週のことでした。 大会では案内係は他の人の注意を逸らす子どもを会場の外に連れ出すよう親に勧めるよう指導されていましたし外に連れ出す=鞭というのは暗黙の了解であったと思います。 とはいえそれは私が子供の頃の話で、鞭が過激化したのはもう少し後になってから、80年代半ばから90年代前半までだったと思います。 |
"ある時期から「子供を静かにさせるように」と巡回監督から子供のお尻を叩くように指導された。巡回訪問の後「子供が訓練されていません」と発表されると親たちは必死で子供を打ちたたいた。どんな鞭が最適かを親たちが話し合っていた。集会の後にはいつもその話で親たちは盛んに鞭を見せ合っていた。 「鞭をしない親は子供を愛していない」と集会で非常に頻繁に教えられていて、「愛の鞭」という言葉は毎日毎日親から当たり前のように脅し文句で使われていた。この「愛の鞭」はご飯を食べるのと同じくらい、日常生活の一部だった。 当たり前すぎてどの家庭でもやっていると思っていた。" |
異常な家庭環境で自尊心など皆無だったので1◯歳の時に摂食障害になりました。 しかしそれも誰にも言えず2◯歳くらいまでずっと苦しみました。一度心療内科に行きましたが、医師が全く無能で何の助けにもなってくれずむしろ逆に傷付けられたのでその後は病院にもかからず誰にも打ち明けられず本当に苦しい日々を過ごしました。 その後ありとあらゆる自己啓発本を読み漁りカウンセラー養成学校のワークショップなどに参加して、3◯位の時からようやく自分の価値を少しずつ認められるようになり、生きやすくなりましたが、それでもやはり今も自分の意見や感情を出すのは苦手でつい我慢してしまうことが多いですし、何か人間関係でトラブルが起きると自分を責めてしまうので、かなり改善したとは言えやはりまだまだ自分を愛せていない気がします。 |
母親が笑顔でガスホースをもって、これを薦められたの。と言って、ガスホースをみせてきた光景を今でも覚えているので、子どもながらに衝撃的な光景だったと思う。カバンにガスホース入れて持ち歩いていたと思う。集会中静かにできない子どもは第二会場に連れて行かれ、鞭の音と子供が泣く声が聞こえていた。それが、良いこととされていた。厳しい親が模範的な親だった。 |
母が研究生の頃、まだ◯歳(兄)、◯歳(私)、◯歳(妹)の鞭を母の姉(信者)研究司会者が手ほどきし徹底させた。私は集会から帰宅すると顔や体にあざができ、母は未信者の父にそのあざをバレないよう必死に隠していた。私に口止めした。自宅には 『あいの鞭』と書かれた靴べらがあり、体や顔をそれで叩かれた。50センチものさしでも叩かれ、体から血が出たりミミズ腫れになり、学校で友達に見つからないようにするのが必死だった。集会中、寝てしまったら母に手のひらをボールペンでえぐられたりした。今でも傷の跡が残っている。母の姉(おば)にも同じように懲らしめを受けた。 私が結婚して子供を産んで、母は私にきちんと子供を懲らしめるよう鞭を控えるなと圧力をかけ、私は当時まだ信者だったため、母に認めてもらうために同じように自分の息子たちに鞭をし始め集会でも鞭をし、母や、信者たちによく褒められた。が、私の子供たちは吃り、チック、円形脱毛症などの症状が出始め少しづつココロが離れていくのを感じた。 |
赤ちゃんのときは、1時間以上大人しく座っていないと叩かれていた。 歳を重ねるごとにどんどん鞭の強度が上がり、下着を下ろしてお尻を出さなければならないことが恥ずかしかった。生理中も容赦なく下着を下ろさなければならなかった。 無知の前に1時間以上にも渡りお叱りの説得があり、母の怒りのレベル次第で、鞭の後の罰も加わった。 食事抜きにされ、みんなが食べているのを見ていなければいけない、外に出される(泣いてはいけない、近所に聞こえてしまうから)、立たされる、悲しい動画を見せられる(蛍の墓)、幼稚園を休まされる。 |
その他、多数の筆舌に尽くしがたい被虐経験が寄せられているものの、全てを紹介することは紙面の関係上、できません。
本人の特定を避けるため、適宜「◯」による加工を当弁護団で行っています。
(13) 深い憂慮を引き起こす懸念点‐「類型的な鞭」にあたらない過激な行為
上述のとおり、エホバの証人内での信者による子どもへの「鞭」において一貫してみられる共通特徴は、「子どもに下着を脱がせ、その臀部を道具で強打する」というものである。これが類型的な事象であったことは間違いがないと判断される。
(なお、他にみられる共通する報告は「集会・大会中に居眠り等をすると鋭利な文房具でいきなり手などを刺される」というものであるが、上記の類型ほどの強力な共通性は見いだされないように観察される)。
そして、前記(4)にあるように、鞭には、ベルトや特殊なホース(つまり針金や金属線が編み込まれた強化ホースや親が自作して複数のホースを束ねて強化したもの)などのエホバの証人において比較的多く用いられた道具以外に、木製の棒、馬術用の鞭など、およそ身体を不可逆的に破壊することが可能な道具が含まれていたという報告を聞き、当弁護団としては驚きを禁じ得ない。
また、信者同士が、より痛みの強い鞭を求めて情報共有したり自作しあったりするなど、鞭を日常的に振るうことで、子どもへの身体的虐待への心理的ハードルが下がり、信者がより過激な方法で、子どもに対して虐待を継続していったことが伺える。
そして、このような信者の過激な行動の「極み」として、予備調査・本件調査の過程において、こうした「類型的な鞭」とは別の、より過激で、場合により命の危険を引き起こしかねない行為が、宗教上の理由に基づき、信者である親により行われたという具体的な報告も寄せられた。これらの行為は、それ自体は、臀部を道具で打つという意味での鞭ではなく、類型的にみられる行為に属さないが、エホバの証人家庭における宗教的理由を原因とする体罰であるという点や、臀部を道具で打つという類型の鞭と連続した一体の行為、又はこうした類型的行為の(一時的とはいえ)代替方法として行われた等の要素を考慮すると、派生型の「鞭」として評価できるものと解される。こうした非類型的な体罰行為は様々なものが報告されたが、下記にそれらの報告の例を挙げる(報告については録音を伴った聞き取りを実施した)。
① 被害時点で未就学児の男性
日頃から手作りで強化されたガスホースで殴打されるという、よく見られる態様の鞭を受けていたが、あるとき母親に、家の玄関部分で「両手を縛られて吊るしあげられ」、その状態で鞭をされた上に、その後もつるし上げられたまま長時間そのまま放置された。母親にはおろしてくれる気配は全くなく、結局、父親が帰ってきた際に、玄関を開けて見つけてくれた父親に解放された。
その鞭を行った母親本人も、「あれはやりすぎだった」と後に何度も語ることがあった。
② 被害時点で12歳の女性
エホバの証人である母親からの宗教上の指示に従わなかったところ、その母親が刃渡りの大きな刃物を持ち出して振り回し、その際に小指の先端部分が切断され、まさに「血まみれ」と表現すべきほどの相当量の出血があった。
その小指の先の傷跡は今現在も残存している。
(この女性は現在も残る傷跡の写真を複数枚、弁護団に提出した)。
③ 被害時点で中学生~高校生だった女性
物心つく頃から臀部の殴打の鞭を受けていたが、思春期になると生理を理由に下着を脱ぐことを頑なに拒否するようになった。そうすると、それまで臀部の殴打という鞭をされてきた代わりに「数日から1週間以上の間、徹底的に無視をする」という扱いを受けるようになり、この無視行為はかなり過酷なものだった。
それまで宗教上の理由により「鞭」をされてきたが、この「無視行為」は、それまで臀部への殴打という「鞭」がなされる際の理由と同じ宗教上の理由があるたびになされたので、無視行為も「鞭」の一環であり形態が変化しただけであると認識している。この「無視」は過酷で、母親が話や反応を一切してくれない他、無視行為の間は食事を一切用意してくれなくなり、食べるものがないので家にあった砂糖をなめるなどしていたが、それが見つかると砂糖すらも隠された。仕方なく、路上に落ちている食べられそうなものを拾って炒めて食べるなどして凌いだ(主に椎の実を拾っていたことを覚えている)。この無視と食事抜きは、上述のとおり1回につき1週間程度続くことがざらで、これが数年間の間、頻回に繰り返された。
④ 被害時点で未就学児の男性
当時「書籍研究」と呼ばれていた、信者の個人宅を使って数十人で集まりあう「集会」が週に1回、夜間にあったが、その「書籍研究」の最中にもその個人宅の4畳半の狭い部屋でみんな鞭をされていた。あるとき、母親が「鞭」を持参するのを忘れ、個人宅だったので備え付けの鞭棒もなく、母はしばらく必死になって私を打ち叩く道具を探したが見つからず、何とか鞭をしなければという様子、そして相当に感情が高まっていた様子だった母は、「私の呼吸を止めて苦しめる」という方法をその場で思いついてそれをした。
私はまだ本当に小さな子どもだったが、私の肺や心臓がある部分に母の全体重をかけて全く呼吸ができない状況にし、私が苦しみすぎて意識を失いかけると背中から降りて呼吸をさせ、また背中に乗って呼吸ができない状況にさせる、ということを何度も繰り返した。私はそのとき、地獄の苦しみと意識がなくなっていく恐怖にさらされたが、それでもまだ「教団幹部が配った特製の鞭棒」で鞭をされることの恐怖と痛みよりマシだったので、次から「鞭」を宣言されると「こないだのアレ、背中に乗るやつにしてほしい」と泣いて頼むようになったが、その方式の鞭をしてくれることは二度となかった。
大人になって振り返ると、このような「鞭」は、ろっ骨が折れたり肺がつぶれたり心臓が止まったりするなどの相当の危険性がある行為だったので母は繰り返したくなかったのだろうし、鞭棒が手元にない中で何とか私に苦痛を味わわせるための苦肉の策だったのかもしれない。それか、私がそちらの鞭を希望する姿を見て「与える苦痛が足りない」と判断したのかもしれない。正直、この両方の理由により繰り返されなかったのだと思う。
なお、2023年のテレビ番組において、「エホバの証人 鞭打ちの実態」とのテロップの下で「1993年に広島県において信者である親の懲らしめが死に至ったケースもある」・「4歳の息子が死亡したケース」との内容が、当時の警察の捜査状況の映像とともに報道されている[6]。
同じ事件を扱ったと思われる、事件発生当時(当該事件の刑事裁判時点である1994年8月)の別の報道記事は、「子どもをゴムホースで叩くなどした上で家の外に締め出し凍死させた」と指摘している。当該1994年時点の報道において裁判傍聴を行い関係者に取材をした記者は、『すべて、ものみの塔の教義と、二人(注:信者である両親)が所属していた会衆の長老夫婦の指導によるものでした』『おしりを打つためのムチ棒は、長老夫妻から渡されました』と結論付けている[7]。
上述のような「命にかかわる」レベルの過激な虐待行為が鞭として、又は鞭の一連の流れの中で実際に報告・報道されていることは極めて憂慮すべき事態である。
エホバの証人内において、こうした命を脅かすような極端な虐待行為の事例が存在することにつき、教団の責任や関与をどのように考えるべきかという点は重要なテーマである。
当弁護団も、教団が信者に対し、命の危険を伴う類の体罰をおこなうよう指示したり勧めたりしていたと述べるのではない。
ここで考慮すべきことは、①「子どもを愛しているなら鞭をしなければならない・鞭をしないならば子どもを愛していない」という教え及びこの教理による信者間の共通認識が教団主導で存在したと考えられること、②極めて強い影響力があると考えられる「巡回監督」や「長老」という立場の幹部信者から「鞭が足りない」という鞭の促進の教えが行われていたこと、③エホバの証人社会全体においても、個別の信者家庭においても「より苦痛を与えるために鞭がどんどん変化(改悪)していった様子が明らかに確認されること、④信者である親同士で「どんな鞭が一番子どもに効果的か(すなわち最も苦痛を加えられるか)」という話し合いがなされていたという証言が多く寄せられていること、といった各点を考慮すると、信者の親たちの間で、子どもに強力な鞭をするべきであるという教団主導の教えを行動指針の基軸・出発点として、「より良い子どもにするにはより強度な鞭が必要という心理状態」に陥っていた親が教団内に多数いたと考えられるという点であるし[8]、この点も相まって、「より過激な鞭を実行すればするほど、その親は信者の間で熱心な信仰の実践者として称賛される」という風潮が存在したという合理的な推認が働くのではないか[9]。
そして、上記風潮を教団が承認・(明示であれ黙示であれ)促進していたのではないか、という強い懸念が生じ得るものと考える。
この点、教団は、そのようなエホバの証人社会内の状況について調査する、あるいは巡回監督や長老等に対してその是正を指示するなどの措置をとったのであろうか。本件調査結果は、そのような措置とは全く異なる姿勢を教団が非常に長期間示し続けてきたことを示唆する内容となっている。
「過去に現実に起きた複数の事実」によりこうした推認・懸念が生じ得るものなのであれば、「全国的に数十万人規模の家庭内の決定に強い影響力を及ぼせる組織体」という第三者が、各家庭の児童虐待に関与する事態が生じた場合に、それを何らかの形で規制する法的枠組みや運用が必要とされるのではないかと考える。
いずれにしても、およそ「鞭」問題を経験した2世等は、今もその心的外傷に苦しむとともに、親との正常な関係が極めて長期間にわたり破壊された状況に今も苦しんでいるのであるから、仮に2023年秋の時点で「鞭」という忌まわしい悪習が収束している/収束しつつあるのだとしても、引き続き「鞭」問題は、現在進行形の問題であると理解されるべきと考える。
3 鞭に関する教団広報について
(1) 「強制していない」という教団広報に対して
設問 |
教団は、鞭を含む教えについて「強制していない」と広報しているのを知っていましたか?(一つお選びください) |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で鞭をされたことがあると回答した人を対象に作成した。 |
結果と考察 |
回答者の75%、383人が教団広報については知っていた。 |
(2) 「強制していない」という教団広報に対して(回答者全員で集計)
設問 |
上記の「強制していない」という教団広報に対してどのように思われますか?あてはまるものをすべてお選びください。 |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で鞭をされたことがあると回答した人を対象とし、横軸を「「強制していない」という教団広報に対してどう思うか」、縦軸をその人数で作成した。 鞭が始まった年齢を18歳未満と回答した人のみを対象とした(始まった年齢が18歳以上と回答した人はいなかった)。 %の数字はそれぞれの回答人数を「鞭をされたことがある」と回答した514人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
被害者の大半が「強制していない」とする教団広報を「虚偽」「無責任」「強制があった」「謝罪してほしい」と回答した。 |
※なお、本頁は回答者全員で集計したものである。現役信者は異なる見解を持つものとも考えられることから、現役信者だけの回答を集計した結果を次頁に示す。
(3) 「強制していない」という教団広報に対して(現役信者のみで集計)
教団は鞭に関する一連の報道に関して「組織に不満を持つ元関係者のコメントのみに基づき、ゆがんだ情報や誤った結論が出されていることに心を痛めている」とするコメントを出している[11]。そこで当弁護団は、前頁と同じ設問についての回答を現役信者のみで集計することとした。
設問 |
前頁と同じ |
集計方法 |
現役信者(過去6カ月以内に集会に参加した人)のみを対象とした以外は前頁と同じ。 %の数字はそれぞれの回答人数を該当する「現役信者」67人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
「強制していない」という教団広報について、回答者の中にいた現役信者らも大半が「無責任」「嘘」「強制があった」「謝罪して欲しい」と回答した。 一方、「教団は本当のことを言っている」は2名、「教団に責任はなく鞭をした保護者に責任があると感じる」は3名いた。 現役信者にも鞭を知るものが多くいることから、教団広報が虚偽のように感じられることに心を痛めていると推察できる。 |
(4) 教団広報に関する現役信者の認識の自由記述の回答例
設問「「強制していない」という教団広報に対してどのように思われますか?あてはまるものをすべてお選びください。」という問に対する個別回答の一部を以下に示す。
ここでは特に重要と思われる現役信者の回答のみを掲載する。
「鞭棒を控えるものは、その子を憎んでいるのである」の意の聖句は、何度も繰り返し、ものみの塔等で強調されていたのは、子供ながらに記憶しています。 にもかかわらず、「強制はしていない」と述べる支部や教団上層部には、強い怒りを感じざるを得ません。 あれが強制でないのなら、強制という言葉をいつ使用できるのか、というレベルです。 |
「強制」という言葉にはいろいろな意味が含まれるので、ある種の「強制」はしていないという主張だろう。うまく言い逃れ、責任逃れをしようとしていると感じている。 |
あの当時は日本のエホバの証人支部が空気の支配で鞭を強要していたはずなのに(でなければ鞭を止めるように指示していたはず)今になって強制していないなど都合が良すぎる ではあれは一体なんだったのか 教団の責任転嫁は神権的なものではない 属的人間的だと感じる |
あまりにも明確すぎる嘘だったので、むしろ小さい時から刷り込まれていた「エホバの証人は神に用いられてる組織」という概念がきれいさっぱり消えありがたかったです。 |
うまく逃げたと思った。「一部の信者がやった」と言っていたが、長老や開拓者が積極的に勧めていたので、彼らを任命した組織も責任を免れないと感じた。 |
エホバの証人が発行する雑誌や本を通して、はっきりと体罰を推奨しているにもかかわらず「体罰を強制していない」という見解は嘘をついていることになると思う。 |
この教団は自身について「神に導かれている地上で唯一の組織」と言っています。 |
「巡回監督」、「長老」、「特別開拓者」などの高位の信者が勧めたりした実態が複数の回答者から異口同音に語られていることが理解できる。画一的で類似した虐待行為が、多くの地域で、長期間継続していたことが観察できる。鞭は組織的としか言いようがない虐待である。
4 鞭をした経験
(1) 鞭をした経験の有無
設問 |
我が子を含め他人に鞭をしたことがありますか? |
集計方法 |
有効回答者全員を対象に作成した。 |
結果と考察 |
44名の回答者が「はい」と回答しました。 |
(2) 誰に対して鞭をしたか
設問 |
あなたが鞭をした相手は誰でしたか? |
集計方法 |
我が子を含め他人に鞭をしたことがあると回答した人を対象に作成した。%の数字はそれぞれの回答人数を「他人に鞭をしたことがある」と回答した44人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
約86%が「自分の子ども」と回答した。 |
(3) 鞭をした理由は何か
設問 |
あなたが鞭をした理由はどのようなものでしたか? |
集計方法 |
我が子を含め他人に鞭をした事があると回答した人を対象に作成した。 %の数字はそれぞれの回答人数を「他人に鞭をしたことがある」と回答した44人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
①大半の保護者が「親に従順でなかった」という理由で鞭をしたことが分かった。なお、エホバの証人がいう「親への従順」は、一般家庭でいうところの「親の言うことを聞くいい子でいる」といった普通の意味での「従順」とは意味合いが異なると考えられることに留意が必要[12]。 ②また、大人向けの聖書に関する教理が教示される集会中に居眠りをしたり、ぐずったり、泣いたりしただけで鞭を受けた2世が相当数いた。 |
(4) 鞭という手段で戒めた理由に関する自由記述の回答例
設問「鞭という手段で戒めたのは何故でしたか?」という問に対する個別回答の一部を以下に示す。
自分がされていたので、自分の子供にはしたくない反面、やむ終えない時には男の子ということもあって、話してもわからない時は最終手段としてゲンコツ一発くらい、ビンタの一発くらいは仕方のないことかな、と思って。 |
自分がされてきてそれが当たり前に必要なことと思っていた |
自分がそうやって育ったので、したくなかったが、するしかないのかな?と思う程のことがあったときにしてしまった |
自分がそう育ってきたのでそうするものだと思っていました |
自分が育てられたようにするしかありませんでした。 |
自分が鞭打たれてしつけられたから。 |
自分の価値観 |
自分の親がしていたから、するものだと信じていた |
自分の生い立ちから、JWはそのようにして子供を懲らしめなければならないと思っていました。 |
自分もされていたから |
信者だった母の指示で |
親がそうするのを見ていてそれが義務だと思いました。 |
親に従順は、神からの命令で楽園に行くためにはその命令に従わなければいけないと教えられてきました。それが出来なかった場合は、鞭をする事も教えられてきました。 賛美の歌にも、神の鞭用いつつ子供を育てる様にというものもあり、虐待してる事も気が付きませんでした |
「親にそうされたから自分もする」「信者の親族の指示」などの回答が多数を占めた。
鞭が世代を超えて負の連鎖を起こしている様子が観察できた。
(5) 鞭をしたことへの振り返りに関する自由記述の回答例
設問「鞭をしたことについて、現時点でどのようにお考えでしょうか?例えば、「正当なことをした」、「後悔した」など現時点でのお考え、ご意見、その他ご自身のありのままの感情をご記入ください。」という問に対する個別回答の一部を以下に示す。
もちろん後悔しました。息子に泣いて謝りました。今回のアンケートについて長女に話し、お兄ちゃんに前に謝ったんだよ。と話しました。 |
後悔。自分が嫌だったことを我が子にしてしまったという後悔。虐待の連鎖とはこれじゃないか…と感じた。 |
後悔しかありません。自分は、鞭をされて育ってきました。親からの愛情を受けて育った記憶もなく、自分が親の立場になった時、どう子供に愛情を注いでよいのかわかりませんでした。そんな時、現役母から子供に鞭をするのは愛情の証だといわれ、鞭を強要されました。私は、不活発になり家を離れていましたが、最後は、長男のお尻に泣きながら鞭をしました。 |
後悔しかない。 |
後悔しかないです。 |
後悔した |
後悔している。 |
後悔してもしてもしきれない。子供にかわいそうなことをしたと今でも思い出すと涙がでます。 |
後悔はしていないが、もっと効果的に穏やかにできたはずだと今は思う。 |
誤ったことでありとても後悔している。 |
今思うと赤ん坊が泣くのは当たり前で、なんてひどいことをしてしまったのかと自分を責めてしまいます。しかもそれを行った私はまだ小学生だつったという事実に今更打ちのめされています。子供が子供に対して体罰を行う、それがこの宗教の恐ろしい、そして許してはいけない部分だと思います。 |
①鞭をした側の後悔が明確に読み取れる。
②もし教団が過去に「鞭」という醜悪な慣行を生み出し、そう教えられた人がいるのであれば、教団ははっきりと「鞭をしてはいけない」と宣言する義務があるのではないか。
(6) 鞭をしたのは何年頃か
設問 |
あなたが鞭を最後にしたのは何年ごろですか? |
集計方法 |
我が子を含め他人に鞭をした事があると回答した人を対象に作成した。 |
結果と考察 |
2020年代にも鞭をしたという回答が3件得られた(すべて教団から離脱済みの回答者)。 鞭はエホバの証人を離脱した2世等にも波及した事実が確認された。 |
(7) 鞭をしたのは離脱者か現役信者か
設問 |
あなたが鞭を最後にしたのは何年ごろですか? |
集計方法 |
我が子を含め他人に鞭をしたことがあると回答した人を対象に作成した。離脱者と現役信者を色分けして示した。 |
結果と考察 |
①鞭をしたのは半数程度が現役信者であった。 ②現役信者の回答は本調査の回答者の12%程度であることを考えると、現役信者の実施率は高いと言わざるを得ない。教団の組織的誘導が原因であると思われる。また、現役信者だけでなく、離脱者も鞭をしていることが理解できる。 ③教団を離れても鞭をしてしまうことが観察された。 前述した「世代間の負の連鎖」が起こっていると考えられる。 |
5 鞭についての小括
(1) 信者による「鞭」の慣行の量的確認
遅くとも1970年代から2010年代に至るまで(世代を超えるほどの長期にわたる時間的継続性)、全国において(地理的広範性)、理由・態様・道具使用などに関する一定の明確な枠組を持った形で(類型性)、信者が、子どもに対し「鞭」を打つことが行われていたことが量的に明らかになった。これまでのマスコミ報道や2世等からの様々な形での被害申告とも合致する結果といえる。
宗教団体内において、ここまで長期にわたり、ここまで大規模に、ここまで広範囲に、ここまで組織的に、ここまで過酷な、子どもへの身体的虐待及びそれと不可分一体をなす心理的虐待がなされた事実は、異常極まりない事態というべきである。
(2) 負の連鎖の存在
エホバの証人内部においては、世代を超えて、2世等が親になり、自分の子どもに鞭をふるうという「負の連鎖」も認められる。
(3) 教団の責任
これらの鞭を行ったのは、本来はこうした苛烈な児童虐待などとは無縁の普通の一般家庭を構築していた人々と解され、彼らがエホバの証人の信者でなければこのような「強力な外部からの誘導要素がなければ合理的に存在し得ないほどの定式化した形での過酷な虐待行為」は家庭に入り込まなかったのではないのかという強い疑問が合理的に生じる。
こうした異常なほどに明確に見て取れる「定式化」に加え、日本のエホバの証人の信者がより強い痛みを伴う鞭の種類を信者間で話し合い、競うように鞭を子どもにふるっていたことについて「なぜ特定の集団内の構成員たちがここまで感覚を麻痺させていたのか」を考えるとき、鞭による過酷な虐待を個々の信者や家庭の問題に矮小化することは、この問題の本質を完全にとらえ違える結果となるものと考える。
ここまで苛烈かつ異常に定式化された鞭が、日本のエホバの証人において蔓延してきたのは、個々の信者による自己決定・自然発生的な行動の結果とは、到底、考えようがないと思われる。特に、下記のような各事情を踏まえれば、教団が信者に対して「鞭」を打つよう指示をしてきたことによるものであり、信者による子どもへの鞭について、教団が責任を負うべきなのは明らかである。
① 教団の出版物による鞭の強い推奨
教団が発行する出版物においては、古くは1950年代から数十年にわたり、子どもへの「懲らしめ」を神が求めておられるとし、強く推奨している。特に、「道具を使って子どもの臀部を殴打する」という一貫してみられる鞭の方式は、上述の1950年代の出版物の「挿絵」において明確に示されている。なお、教団出版物[13]では「懲らしめは感情のはけ口ではない」、「懲らしめは愛を伴うものである」、「虐待を勧めてはいない」と記載しているものも多々あるが、鞭をふるうこと自体を否定していない。何よりもエホバの証人内での行動指針は、信者以外も見られる出版物だけではなく、長老だけに対する内部指示(例として、輸血に関する『S55』・『S401』書面などが明るみとなることにより、「内部指示」の存在は公知の事実となった)・集会や大会における説法や「実演」と呼ばれる寸劇調のデモンストレーションによる教えの伝達(文字化していないため記録に残りにくく、それでいて信者への行動推奨としては強い効果を持つ)・巡回監督や長老による口頭の指示(同じく記録に残りにくく、行動推奨としては強い効果を持つ)などの様々な教育媒体・経路を通じて、強固かつ重層的でありながら同時に見えにくい形で構築されるものであり、こうした様々な指示経路との組み合わせを背景として、出版物の記載内容がどのように信者らに理解されるかが極めて重要であり、出版物の特定の箇所の文言をことさらに強調して、教団が「鞭を指示(ないし容認)していなかった」と主張するのは詭弁と判断されるべきと考えられる。
② 教団幹部による行為
教団から任命される幹部信者(巡回監督、長老等)が、鞭をふるうよう信者の親に強く推奨し、時には自ら鞭をふるった者もいたという報告が寄せられた。
③ 鞭が行われてきた期間・場所・規模・態様
上述のとおり、鞭は、 1970年代から2010年代に至るまで、全国において行われてきた。また鞭が、教団が管理する大会ホールや、信者が日常的に使用する王国会館(集会場)で行われていること、鞭が備え付けられていた王国会館があった等の証言も少なくない。
つまり、(ⅰ)数十年の期間にわたり、(ⅱ)日本全国において、(ⅲ)顕著に定型化された(異常なまでに酷似した)方式で行われてきており、(ⅳ)しかもその方式はエホバの証人組織の外部においてはほぼみられないものであることなどからすると、鞭が、個々の信者の判断で、時間・場所を越えつつ一定の明確な型を維持しながら各時代・各場所で自然発生したとは経験則上考えられず、このような異常な事象が存在したことは、教団を理由とする組織的な鞭が実行されていたこと以外に合理的な説明が存在しないと判断される。
④ 教団は鞭がなされていることを認識していたこと
教団が、信者による子どもに対する苛烈な鞭がなされていたことを認識していたことは明らかである。被害者の証言からも裏付けられるが、教団出版物[14]でも、「今日,親の権威の「鞭棒」を誤用している人が多いのは嘆かわしい」とのあたかも他人事のような評価をしているが、かかる記載からは、鞭を用いた虐待がなされていることを認識していたと解さざるを得ない。
かかる教団出版物の他人事のような表記は、場合によっては、日本に限定したエホバの証人内の異常な現象について、児童虐待防止について極めて抑制的で先端的な国家である米国に位置する教団世界本部が危惧感を覚え始めていたとの仮定もあり得るかもしれないが、仮にその仮定に立ったとして、教団世界本部・日本の教団いずれからも、鞭を認め、これを禁じる明確な指針は出されていない。
脚注
[1] たもさん著『カルト宗教信じてました』彩図社 第9話「ムチと虐待の話」
いしいさや著『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』講談社「その5 p母さんの鞭」
[2] 毎日新聞2022年11月7日「親から体罰、希望していた進学もできず」他、同社の「声を聞いて 宗教2世」と題する連載記事など。
[3] 現物を確認された最も古い日本語資料は1954年発行のものであった。
[4] 「巡回監督」とは20程度の会衆(1000名以上の信者ら)の監督の地位にある者で、長老(破門処分の決定権限があるため明白な幹部信者である)の任命や削除の権限を持つため、相当に高位と判断されるべき幹部信者である。
[5] 信者の相互監視は学術的にも分析されている。例えば、「カルトとスピリチュアリティ」櫻井義秀編著,P116,第3章や、猪瀬優理「脱会過程の諸相」を参照。
[6] テレビ朝日 報道STATION 2023年3月14日放送
[7] しんぶん赤旗1994年8月8日号
[8] 自由記述欄にも「異常な空気が醸造されていた」との記載がある(弁護団注、原文のまま、正しくは「醸成」と思われる)。
[9] 自由記述欄にも、「厳しい親が模範的な親だった」との記載がある。
[10] 『毎日新聞2022年11月7日 親から体罰、希望していた受験もできず エホバの証人3世訴え』
同記事には、『エホバの証人の広報担当者は毎日新聞の取材に「聖書の教えに基づき、子どもは愛情をもって育てるように伝えている。方法は各家庭で決めることだが、体罰をしていた親がいたとすれば残念なことだ。教えを強制することもしていない」と話した。」との記載がある。
[11] 例えば、2023 年3月1日の東京新聞記事「エホバの証人「ゆがんだ情報だ」 元信者らの輸血拒否やむち打ち被害証言に反論」
[12] エホバの証人のいう「従順」とは、教団の教理(宗教活動への参加、学校行事への不参加、エホバの証人以外の子供との交友制限などが含まれる)及び親が教団の教理に合致すると判断したあらゆる規制に忠実に従うことが含まれる。
[13] 『目ざめよ!1992年9月8日号p.26–27「懲らしめのむち棒」―それは時代後れですか』
[14] 『目ざめよ!1992年9月8日号p.26–27「懲らしめのむち棒」―それは時代後れですか』