本考察は、2023年11月20日に公表された「宗教団体「エホバの証人」における宗教の信仰等に関係する児童虐待等に関する実態調査報告書」に掲載された内容をそのまま転載したものです(項番等もそのままにしてあります)。エホバの証人信者への迫害・ヘイトはしないようにお願い申し上げます。 報告書の目次 |
Contents
第11 いわゆる「忌避(排斥)」及び児童期のバプテスマについて
1 いわゆるエホバの証人の排斥(忌避)とは
(1) 忌避の定義及びその実態
「忌避」とは、エホバの証人内部で用いられる用語ではなく、特定の信者が「排斥」または「断絶」という正式な破門処分となった場合に、他の信者が当該元信者に対して行う集団的・組織的な共同絶交措置を指す。教団は、排斥者等を「徹底的に避ける」よう教えている[1]。
教団は、信者が排斥者との間で交友関係を一切断ち切り、あいさつの言葉すらかけるべきではないと教えており[2]、信者である親族との間の親睦はできず[3]、排斥者の葬式をしてはならない旨の言及[4]や排斥者が信者である親戚の結婚式に参加する場合にも、披露宴への参加もできないといった言及があるなどの苛烈な措置である[5]。
教団が、忌避を正当化する理由は、以下の3つである。1つ目は、神がそれを求めておられ、聖書的な根拠があるとする点(つまり言い換えれば排斥や忌避への批判は神への不忠実ということになる)、2つ目は忌避により信者を霊的または道徳的汚染から保護し会衆の良い評判を守ることができること、3つ目は忌避により排斥者等が「本心に立ち返り」、教団に戻ってくる可能性があるからとする[6]。忌避について特に問題になるのは、信者家族内において家族が破門(排斥・断絶)された場合である(対象者が未成年者であるとか、成人であっても自活できない者であることもありうる。)。
この場合、教団は、破門対象者が信者家族と同居している場合には、「家族としての日々の通常の活動や関係は続いてゆく」が「家族の忠節な成員はもはやその人と霊的な交わりを持つことができません」と述べて、宗教活動以外の通常の家族としての関係は継続するとの建前を維持している[7]。(なお、破門された家族が同居をしていない場合、 接触を最小限に保つことが求められており、同居の有無により教団の公の教えは差異がある[8])。
しかし、家族としての日々の通常の活動や関係が続くといった運用が現実におこなわれているのかについては、本調査の結果から大きな疑問が生じる。繰り返し指摘してきたとおり、教団が一般人も手にできる出版物において公言する建前と、信者ら内部に対するメッセージや信者社会内におけるこうしたメッセージの実践は、こうした建前とは大きく異なるようである。
例えば、エホバの証人の2016年地域大会において取り上げられたビデオにおいては、年若い女性信者が排斥されるストーリーが描かれるが、この中では、信者である父親(排斥された女性信者の父親)が、家族に悪影響があるという理由で、排斥された娘に家を出ていくよう求めるシーンが描かれているし、家から追い出された後、娘からの電話にすら両親が出ないこと、親からも娘に電話しないシーンが強いメッセージ性とともに描かれている。なお、こうした類の教団による信者への教育素材は多数存在する[9]。
また、長老や援助奉仕者という立場の信者については「排斥された家族や断絶した家族が自分の家に引っ越してくるのを認めた場合」に、その立場の剥奪が必ず検討されることになっている[10]。
このことは、同居をすることで忌避の悲劇的な側面を回避することすらエホバの証人においては困難であることを推認させるものといえるし、忌避は最も関係の近い家族にも及ぶことを明確に示している
(2)忌避に関する実際の報告
こうした教理を反映して、親族であっても縁を切られた・縁を切るように幹部信者により指導されたという実際のケースが多数報告されている。
具体的には、信者である親に孫(2世等の子)の顔を一度も見せられないことや、冠 婚葬祭の参加ができないどころか、その連絡さえもらえない、すなわち信者である実のきょうだい等が結婚してもその事実すら伝えてもらえなかったという体験も報告されている[11]。当弁護団の聞き取り調査においても、排斥(破門処分)後、「同居家族からLINEでブロックされた」「会話はできない家族がいる」「『あなたは排斥されたからメールができない』と言われた」などの証言があった。
(3) 本項の検討における射程範囲
重要な点として、本項目で取り上げる「忌避」の問題は、多くは成人後の元信者が経験する事象であり、児童を対象にすれば、当然に「児童虐待」としての側面があるが、事象の総体としては「成人への人権侵害問題」としての側面のほうがより強いと観察される。
そうであったとしても、未成年者に対して忌避が行われる場合や忌避を理由として離脱ができないという場合は児童虐待に該当するものであるし、「ごく小さな子どもの頃、すなわち児童である時点で正式な信者となったことを理由に、その後、生涯にわたり忌避の危険性に晒される」という実情が存在することに疑いはなく、忌避とエホバの証人における児童虐待には一定の関連性がある。
また、「忌避」は正式信者となる「バプテスマ」を前提とするため、本項目においては、「児童期のバプテスマ」というテーマについても扱う。
2 宗教虐待Q&Aの記述
(1) いわゆる「忌避」や、児童期のバプテスマについて、宗教虐待Q&Aにおいては、触れられていない。あえて言うならば、「忌避」については、下記の問3-1の心理的虐待のうち、「児童を宗教活動に参加させることを目的として、あるいは、児童が参加に消極的であるといったことを原因・きっかけとして、無視する行為、常に拒絶的・差別的な態度をとること」に該当しうる(これに該当する行為の実例報告については「鞭」の項目においても言及している)。
(2) しかし、上記の宗教虐待Q&Aが想定しているのは、Q&A内においても明記がなされているとおり、伝道活動の強制や、集会・大会への参加強制、ハルマゲドンで滅ぼされると繰り返し教えるなどの行為と思われる。
また、エホバの証人における「忌避」とは、「児童を宗教活動に参加させることを目的として、あるいは、児童が参加に消極的であるといったことを原因・きっかけ」に生じるものではなく、前述のとおり、本来的な目的は、教団が決める「宗教的な罪」を犯した者を排除し、もって教団を排斥者から防衛するためであるとされており、上記Q&Aが想定していない目的といえる。
(3) しかし、当弁護団は、教団が、「忌避」による威嚇を通じて、教団を離脱しようとする2世等を教団内にとどめさせ、また排斥者には、忌避を手段として、心理的に追い詰め、最終的に「悔い改め」させてエホバの証人に復帰させるという目的を持つものとして、宗教虐待Q&Aにおいて記載された虐待行為に比肩又はこれを遥かに上回る人権侵害行為、究極的な心理的虐待であると考える。
そこで、以下では、忌避を「心理的虐待」の1つとして、検討を行う。
3 エホバの証人の忌避に関する先行研究とその示唆
エホバの証人の2世等は離脱後に忌避を経験することがあるが、その多くが様々な負の影響を報告する。例えばうつ、強迫神経症、PTSDなどがそれに当たる。
ただし、このような報告は2世等の互助会などで体験を共有する時に語られるものに過ぎず、日本国内に置いては質的・量的に信頼性のある学術研究等がなされているとは言い難い状況であった[12]。そこで、本調査を通じて忌避の影響を可視化するためのアプローチから検討することとした。
(1)先行研究の整理
本調査に先立って忌避ついて当弁護団で先行研究を整理した結果を以下に示す。調査には、Google Scholarを用い、「Jehovah’s witness」「shunning」「ostracism」などのキーワードを用いたところ、以下に示す学術研究が見つかった。
- 1975年に英国精神医学雑誌(British Journal of Psychiatry)に発表されたオーストラリアの精神科医ジョン・スペンサー博士の研究では、西部オーストラリアの精神病院に入院した約7500人の全ての患者とうち50人のエホバの証人の信者とを比較して、エホバの証人の間に精神分裂病患者が一般人口の三倍、妄想型分裂病患者の数は一般人口の四倍に近い多さで見られ、これらの数字はカイ二乗検定で0.001の統計的有意差であったと結論しています(Spencer,1975)。
- 2009年にAdvances in Experimental Social Psychology誌に掲載された忌避研究によれば、長期間の忌避が諦め感、疎外感、無力感を通じて抑うつに至るモデルを提示している(Williams,2009)。
- 2009年にJournal of Health and Social Behaviorに掲載された論文によれば、末日聖徒やエホバの証人のような高コストな宗派で育ち、そこに留まる人々は、他の宗教的伝統で育ち、そこに留まる人々よりも自己報告による健康状態が良い一方、そのような宗派から離れた人々は、他の宗派から離れた人々よりも健康状態が悪いと報告する傾向がある(Christopher,2010)。
- 2019年にPastral Psychologyに掲載されたPadova大学(イタリア)。のInes Testoni教授の論文では、14人の元エホバの証人への質的研究において忌避は死への不安、アルコール依存症、パニック発作、うつ病をしばしば引き起こす高いレベルの苦痛があることが確認された(Testoni,2019)。
- 2021年にPastoral Psychology誌に掲載された論文によれば、脱会者へのオンライン支援グループなどに所属する事が有効であることを示すとともに、エホバの証人の排斥が、自発的脱会よりもウェルビーイングに大きな影響を及ぼすこと、及び信者が排斥を経験した場合にその信者のエホバの証人への愛着が大きいと社会的・家族的な喪失に対処する力を阻害することが示された。
- 2022年にJournal of Religion and Healthに掲載された論文によれば、元エホバの証人の6名に対するインタビューを含む質的研究により排斥体験が精神的健康の低下と関連する可能性があることが示唆されている。
- 最新の研究では、Pastral Psychology誌に掲載されたエホバの証人の質的研究も注目できる。この研究では10人の元エホバの証人にインタビューが行われ、忌避は精神的健康、仕事の可能性、人生の満足度に長期的かつ有害な影響を及ぼすことが示唆された。また、孤独感、コントロール喪失、無価値感などにもつながることが報告されている(Luther,2023)。
- エホバの証人からの離脱に関する代表的な研究として龍谷大学教授・猪瀬優理氏の諸論文がある。エホバの証人からの離脱は困難であると指摘し、その理由について「教団から離れたら不幸になる」との教理や「脱会者との会話禁止」との教理による人間関係を失う恐れなどを指摘した。(猪瀬、2002)。
(2)先行研究から当弁護団が得た示唆
先行研究1〜7によれば、複数の研究でエホバの証人の忌避はメンタルヘルスに多大な影響を及ぼすことが知られており、うつ病、アルコール依存症、パニック障害、死への不安などを引き起こすレベルの苦痛であることが確認されている。
また、先行研究8によれば、離脱が困難であるという分析がなされており、離脱困難の原因の一つに恐怖や人間関係が挙げられている。
上記研究に基づいて、当弁護団は日本でも同じようなことが起こっていないか、また量的にどの程度の2世等がいるのかを確かめる必要があると判断し、調査を行うこととした。
参考文献
- John Spencer. The Mental Health of Jehovah's Witnesses. The British Journal of Psychiatry , Volume 126 , Issue 6 , June 1975 , pp. 556 – 559
- Kipling D. Williams. Ostracism: A Temporal Need-Threat Model. Advances in Experimental Social Psychology Volume 41, 2009, Pages 275-314
- Scheitle, Christopher P;Adamczyk, Amy. High-cost Religion, Religious Switching, and Health. Journal of Health and Social Behavior; Sep 2010; 51, 3; ProQuest pg. 325
- Ines Testoni, et al. Self-Appropriation between Social Mourning and Individuation: a Qualitative Study on Psychosocial Transition among Jehovah’s Witnesses. Pastoral Psychology volume 68, pages687–703 (2019)
- Heather J. Ransom. Life after Social Death: Leaving the Jehovah’s Witnesses, Identity Transition and Recovery. Pastoral Psychology volume 70, pages53–69 (2021)
- Heather J. Ransom. Grieving the Living: The Social Death of Former Jehovah’s Witnesses. Journal of Religion and Health volume 61, pages2458–2480 (2022)
- Rosie Luther. What Happens to Those Who Exit Jehovah’s Witnesses: An Investigation of the Impact of Shunning. Pastoral Psychology volume 72, pages105–120 (2023)
- 猪瀬優理、「脱会プロセスとその後―ものみの塔聖書冊子協会の脱会者を事例に」、宗教と社会、2002 年 8 巻 p. 19-37
4 忌避の原因となるバプテスマについて
(1) バプテスマと忌避の関係
「忌避」の問題は、子どもを対象に行われれば児童虐待であるが、「2世等が成人したのちに忌避の対象となり、数十年にわたる家族関係の完全な破壊という極めて深刻な問題に直面し続ける」というケースが多く複数報告されており、当該忌避問題はエホバの証人問題の最たるものの1つと観察される。
ここで、「忌避」はエホバの証人内のバプテスマという儀式が決定的な起点となるため、バプテスマと忌避の関係についての理解は必要不可欠なものとなる。そのため、エホバの証人の保護者を持つ2世等が小学生頃からエホバの証人活動に関わり、10代後半頃に同宗教を離脱するまでの関係を、当弁護団の視点で、わかりやすくした1つの例として、以下の図のように示す。
多くの2世等は、まず、①小学生頃に、各会衆内の集会の1つである「神権宣教学校/クリスチャンとしての生活と奉仕の集会」の参加者となり、②そう時を経ずに、次に「伝道者」という立場になることが多く、③その後十代前半頃あるいはその前から徐々に「バプテスマ」を勧められてこれを受けるケースが少なくない[13]。留意するべきは、この幼年期からバプテスマを受ける十代前半において、信者の子どもは、先述した鞭、ハルマゲドンで滅ぼされるといった恐怖の刷り込み(エホバの証人信者は、バプテスマを受けて正式な信者にならなければ、数年後といったごく直近の未来において生じ得るハルマゲドンで死亡すると信じている。これはエホバの証人家庭において育った子どもも同じである。)、交流や交際の制限、集会や伝道活動への参加強制などの宗教虐待Q&Aに記載のある児童虐待行為を受けて育つのである。
ただ十代前半にバプテスマを受けた後に、自我が芽生えて確立する十代後半以降になって教団への疑問を持つ2世等は少なくない。そのような自我の確立による教団離脱を望むようになる場合、それより前の時点でひとたびバプテスマを受けていると、その後は一生涯、「排斥」又は「断絶」と呼ばれる破門処分しか正式な離脱方法はないという点がポイントとなる。かかる正式な離脱方法には「忌避」が伴うため、忌避を回避するため、フェードアウト(なお、フェードアウトや自然消滅という表現は、長い2世等の歴史の中で当事者らの間で慣用的に発生し、用いられてきた表現にすぎず、教団では、これらの者を「不活発」と呼び、長老等が、「不活発」になった信者が再び「活発」に活動するようになるよう援助することになっている。従って、2世等がフェードアウトしても、信者が自宅等に「援助」名目で訪問することが続くことになる。)を選択する2世等も多い。
なお、バプテスマの有無と忌避の関係を説明すると下の図のようになる。
上述のとおり、信者が、バプテスマを受けた後に、排斥や断絶になれば、忌避の対象になるが、フェードアウトの場合には忌避の対象にならないのが原則である(「霊的に弱っている」とされて周囲の信者から心配される対象になり、忌避との扱いの落差は極めて大きい)。
しかし、信者がフェードアウトを選択した後に、教団が決める「罪」をおかした場合には、他の信者家族は、それを長老に報告することが求められ、家族との交友を制限することが求められており、忌避の対象となりうる[14]。
また、エホバの証人家庭の子どもが、バプテスマを受ける前の時点で、教団が決める排斥事由にあたる罪をおかした場合、断絶と同等の意思表示をした場合及びフェードアウトを選択した場合では、いずれも忌避の対象にはならないのが原則である。
もっとも、バプテスマ前の「伝道者」段階にとどまる場合であっても、長老たちが危険な存在と判断した場合は、他の信者に交流を避けるよう忠告することになっている[15]。
このように、上述するとおり、例外的な場面があるとはいえ、エホバの証人の教理上、信者がバプテスマを受けた後にフェードアウトを選択した場合、及びバプテスマを受ける前は、忌避の対象ではない。
ところが、本アンケートでは、教理上は忌避の対象にならない者が、エホバの証人の家族や信者から無視される又は付き合いを拒絶されるなどの報告がなされており、実態は異なる可能性があることが判明した。この点は後記で報告する。
なお、教団は、ごく若い時点でバプテスマを受けることを信者である親やその子どもたちに対して、繰り返し推奨してきている[16]。
また、その際には、他のケースによくみられるように、個別の信者が自分自身の経験談を語る、という形式をとって、事実上「相当に若い時期にバプテスマを受けることが望ましい事である」という強い印象を与えるメッセージを発するという手法を用いている[17]。 本件調査結果でもバプテスマを受けた年齢は12歳から急増しており(後述)、教団の教えが反映されているとの判断と合致する。
(2) 回答者におけるバプテスマの有無
設問 |
バプテスマを受けたことがありますか? |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人を対象に作成した。 |
結果と考察 |
約61%、339人がバプテスマを受けたと回答。 |
(3) バプテスマを受けた年齢
設問 |
あなたがバプテスマを受けたのは何歳の時ですか? |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人でバプテスマを受けたことがあると回答した人を対象とし、横軸を年齢、縦軸を人数で作成した。 |
結果と考察 |
①バプテスマを受ける者の大半は児童であることが量的に確認された。 ②12歳(小学校6年生〜中学校1年生)からの飛躍的増加が顕著な特徴と言える。 |
※なお、回答者のボリュームゾーンが教団内で過ごした1970年代から2000年代については、成人年齢は20歳であるので、上記の図とは成人年齢が異なる点には留意が必要である。
(4) バプテスマを受けた理由
設問 |
あなたがバプテスマを受けたのはなぜですか? あてはまるものをすべてお選びください。 |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人でバプテスマを受けたことがあると回答した人を対象とし、横軸を「バプテスマを受けた理由」、縦軸をその人数で作成した。 バプテスマを受けた年齢を18歳未満と回答した人を「児童」、18歳以上と回答した人を「成人」として集計しています。 %の数字はそれぞれの回答人数を「バプテスマを受けたことがある」と回答した339人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
①児童がバプテスマを受けた場合の動機は「4.親を悲しませたくない」「3.親に言われた」「6.信者に褒められたい」など人間関係に属するものが上位。 ②それに「2.滅ぼされると思った」が続き、ハルマゲドンの恐怖が機能していることが分かる。 ③当人の希望である「1.献身したいと思った」は動機の最下位となった[18]。 ④前項で示す通り、バプテスマを受ける年齢は12歳以降から飛躍的に伸び、以後17歳まで概ね一定することから、それを「本人の真の自由意思」と呼べるかについては健全な社会通念上、深刻な疑問が伴う。 |
(5) バプテスマ前の「忌避の教理の存在」に対する認識
設問 |
バプテスマを受ける前に忌避の教理を知っていましたか?(一つお選びください) |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人でバプテスマを受けたことがあると回答した人を対象とし作成した。 バプテスマを受けた年齢を18歳未満と回答した人を「児童」、18歳以上と回答した人を「成人」として集計しています。 |
結果と考察 |
バプテスマ年齢に関わらず、大半が忌避の教理について知っていたと回答した。 但し、忌避の教理を「教理」として認識していることと、実際に忌避が実行された場合の精神へのダメージや生活上の支障を含めた忌避制度の実態や構造について現実的に認識し許容しているのかは全く別の問題であることに留意する必要がある。 |
(6) 忌避の具体的影響を理解できる年齢だったか
設問 |
あなたがバプテスマを受けた年齢は、いわゆる忌避(排斥等により、集団で無視される、親族からも縁を切られる)された場合の影響を理解できる年齢だったと思いますか? |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人でバプテスマを受けたことがあると回答した人を対象とし、横軸を年齢、縦軸を人数で作成した。 「バプテスマを受けた年齢は、いわゆる忌避された場合の影響を理解できる年齢だったと思うかどうか」で色分けしました。 |
結果と考察 |
児童は「忌避の影響を理解できる年齢ではなかった」が大半となった。 特に十代前半まででは、ほとんどが「理解できる年齢ではなかった」と回答した。 |
(7) 忌避の影響を理解できていたらバプテスマを受けたか
設問 |
もし、あなたが忌避が与える影響を理解できる年齢であって、忌避の教理を知っていた場合、バプテスマを受けたと思いますか?(一つお選びください) |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人でバプテスマを受けたことがあると回答した人を対象とし、横軸を年齢、縦軸を人数で作成した。 「忌避が与える影響を理解できる年齢であって、忌避の教理を知っていた場合、バプテスマを受けたかどうか」で色分けしました。 |
結果と考察 |
児童に限れば「受けなかった」「分からない」が「受けた」を上回った。バプテスマを受けたことの後悔が読み取れる。 |
(8) 回答者のバプテスマへの振り返り
設問 |
あなたは、ご自身がバプテスマを受けたことについてどのように思っていますか?当てはまるものをすべてお選びください。 |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人でバプテスマを受けたことがあると回答した人を対象とし作成した。 バプテスマを受けた年齢を18歳未満と回答した人を「児童」、18歳以上と回答した人を「成人」として集計しています。 |
結果と考察 |
①大半が、バプテスマを「悪い選択だった」と振り返っていることが量的に確認された。 ②児童時点のバプテスマについては、「良い」と振り返った回答は全体の6%に留まった。 |
(9) バプテスマや忌避というシステムに対する要望
設問 |
バプテスマについて希望することがありますか?希望する場合、どのようなことを希望しますか? あてはまるものをすべてお選びください。 |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人でバプテスマを受けたことがあると回答した人を対象とし、横軸を「希望すること」、縦軸をその人数で作成した。 %の数字はそれぞれの回答人数を「バプテスマを受けたことがある」と回答した339人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
①約81%の回答者が児童にバプテスマを受けさせないで欲しいと回答。 ②約74%の回答者が忌避の教理をなくして欲しいと回答。 |
(10) 児童期におけるバプテスマについての小括
ⅰ エホバの証人社会内において、児童期にバプテスマを受けることが量的に確認された[19]。
ⅱ 児童期のバプテスマについて、教団からの強い推奨があることが確認された。
ⅲ バプテスマによる人生への影響を10代前半で理解できるかについては著しい疑問が伴う。なぜならば、バプテスマに至る若年において、排斥の事由となる行為の意味すら理解できていない場合が多いと思われ、同様に、バプテスマに必然的に伴う将来の排斥措置・断絶の可能性及びこれに伴う忌避の実態をこれら児童が真に理解していないケースが多数であろうと予想されるからである。
下記各法律・制度は、類型的に知識、経験又は判断能力が未熟な未成年者を保護する観点から設けられたものである。
(参考)若年者を保護する法律 ・民法では、未成年者が親の同意を得ずに契約した場合には、原則として、契約を取り消すことができる(未成年者取消権)。 ・少年事件は、全件が家庭裁判所に送られ、家庭裁判所が処分を決定する。 ・性的同意年齢は16歳に引き上げられ、16歳未満との性的行為は仮に同意があったとしても処罰対象となり得る。 |
バプテスマという宗教的行為について、未成年者取消権や性的同意年齢と同列に論じることについては議論があるかもしれないが、未熟な判断能力しか持たない未成年者が、その後一生涯にわたり直面し続け得る忌避という制度の存在と影響を真に理解した上で、バプテスマを受けているといえるのかは慎重に判断するべきであり、教団や周囲の信者が熱心に若年でのバプテスマを勧め、未成年の子どもが、一時の感情の高ぶりや熱狂・同調圧力ないしは「周りも受けているからという風潮に流される形」などの理由でバプテスマを受けているならば、教団が、いわば未成年者の未熟さを認識しながら、未成年者を取り込むことで信者の獲得をしているのではないかという深刻な懸念・疑問が提示されるといえる。
また、社会も、「宗教的行為であるから」等の理由で、家族関係断絶リスクを含む、様々なリスクを十代前半あるいはそれよりさらに若年の若者たちに負わせる現状を放置すべきではない。
ⅳ 繰り返すが、本調査結果は、教団が、若年層でのバプテスマを促すことを示している。教団側からは「当人の自由意思による決定」・「若いうちから正しい道を歩むのは良いこと」といった説明が想定し得るが、(i)僅か12歳頃からバプテスマの数が有意に急増すること、(ii)その後、正式に脱会したい場合には「忌避」を伴う断絶と排斥しか正式な手続が存在しないこと、(iii)忌避の威嚇力が理論上は生涯継続すること、などを考慮すると、「若年層でのバプテスマが多くみられる実態の真の意図は、2世等をエホバの証人社会内に留め置くことではないか」との疑問・懸念が生じるのが自然と考えられる。
5 忌避経験について
(1) 忌避経験の有無
設問 |
あなたは、エホバの証人の家族や信者から、無視される、付き合いを拒絶されるなどの「忌避」といわれる対応をされた経験がありますか? |
集計方法 |
(左)バプテスマを受け、かつ排斥または断絶により離脱したと回答した人を対象に「忌避をされたことがあるかどうか」で作成した。 (中)バプテスマを受け、かつフェードアウトにより離脱した人と回答した人を対象に「忌避をされたことがあるかどうか」で作成した。 (右)バプテスマを受けたことがないと回答した人を対象に「忌避をされたことがあるかどうか」で作成した。 |
結果と考察 |
①(左)教理通りの忌避が徹底されていることが量的に確認された。 ②(中)(右)教理の直接の文言を越える忌避もされていることが量的に確認された。 教理の範疇を越える「忌避」が存在する事実は、各信者個人・信者である各親の感情や信仰についての自己判断が関係している可能性や、「忌避」が極めて重要であるとの教団指示の大枠が維持されつつ、「より強く教団の意を酌んだ行動をとることにより『より熱心な信仰の実践者』と評価される、或いは、そうした自己承認を得るというエホバの証人社会の体質を反映している可能性など、いくつかの要因が考えられ、丁寧な分析が必要であると思われる。 |
※(中)の「バプテスマを受け、かつフェードアウトにより離脱した人(教理上、忌避対象ではない)」及び(右)の「バプテスマを受けていない人(教理上は忌避対象ではない)」について、「教理上、忌避対象ではない」とするのは原則である[20]。フェードアウトを選択した場合でも後に忌避の対象になりうること、また「伝道者」についても長老団の判断により事実上忌避に近い対応をする旨の指示があることは上述のとおりである[21]。
(2) 忌避された年齢
設問 |
何歳ごろから忌避されましたか? |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で「忌避」といわれる対応をされた経験があると回答した人を対象とし、横軸を年齢、縦軸を人数で作成した。 「バプテスマをうけたことがあるかどうか」で色分けしています。 |
結果と考察 |
①児童にも忌避がされたことが読み取れる。 ②バプテスマを児童の時に受けて、多くが成人後に忌避を経験したことが分かる。 ※成人後の2世等に対する忌避は宗教虐待Q&Aの対象ではなく、また多くの児童福祉政策の射程からも外れることを意味する。しかしながら、その後の人生で数十年継続し得る忌避の決定的前提はバプテスマであるところ、そのバプテスマを児童の時点で受けている2世等が少なくなく、しかもそのバプテスマを受けた児童の生育環境をみると宗教虐待Q&Aに規定された児童虐待行為が多数おこなわれている(バプテスマが、児童虐待行為の延長線上に存在する場合もあると思われる。)という背景がある。「児童時点の宗教行為により成人後の残りの長期間の人生で多大な悪影響を受け続けることが現実に起きており、かつ、その悪影響について法や政策の保護が及ばない」という事態が現に存在しているものと観察される。 ③なお、離脱時に忌避が開始されるため忌避が始まる年齢は離脱年齢とほぼ同じである。 |
(3) 忌避された年
設問 |
忌避(排斥等により、集団で無視される、親族からも縁を切られる)はあなたが何歳ごろに始まりましたか? |
集計方法 |
「忌避」といわれる対応をされた経験があると回答した人を対象とし、横軸を忌避された年、縦軸を人数で作成した。上記設問を利用して当弁護団で忌避された年を計算しました。 忌避をされた年齢を18歳未満と回答した人を「児童」、18歳以上と回答した人を「成人」として色分けしています。 |
結果と考察 |
①忌避は現時点も継続して行われており、明白かつ現在の深刻な問題であると考えられる。 ②近年の児童のデータが少ないのは、年齢層が若く、そもそも回答が少ないためと考えられ、必ずしも児童に対する忌避が行われていないことを示すものではない。 |
(4) 忌避は現在も続いているのか
設問 |
現在も忌避されていますか? |
集計方法 |
「忌避」といわれる対応をされた経験があると回答した人を対象とし作成した。 |
結果と考察 |
回答者の大半が忌避が継続していると回答。 一方、何らかの理由で忌避されなくなるという回答も確認された[22]。 |
(5) 忌避でどのような扱いを受けたか
設問 |
どのような対応をされましたか?あてはまるものをすべてお選びください。 |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で「忌避」といわれる対応をされた経験があると回答した人を対象とし、横軸を「どのような対応をされたか」、縦軸をその人数で作成した。 %の数字はそれぞれの回答人数を「 忌避といわれる対応をされた経験がある」と回答した206人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
信者同士の関係だけでなく、家族からも忌避を受けている状況が量的に確認された。 加えて、自宅から出ていくように言われるケースも相応に存在することが確認された。 |
(6) 教団による家族や他の信者への忌避の働きかけについて
設問 |
あなたが受けた忌避(排斥等により、集団で無視される、親族からも縁を切られる)について、ご家族以外の第三者(長老、幹部信者等を含む)から、あなたの家族やエホバの証人信者に対して指示や指導等があったとお感じになりますか。下記のうちあてはまるものをすべてお選びください。 |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満と回答した人で「忌避」といわれる対応をされた経験があると回答した人を対象とし、横軸を「どのような指示や指導があったか」、縦軸をその人数で作成した。 %の数字はそれぞれの回答人数を「忌避といわれる対応をされた経験がある」206人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
①出版物だけでなく、幹部信者からの指導、大会・集会で明示的に忌避が教理として教えられていることが量的に確認された。 ②保護者からの働きかけ(5)(すなわち、信者である保護者が、児童に対して忌避を行うよう働きかけること)が生じた割合は相対的には低く教団による働きかけ(1〜4)によるとの回答のほうが相対的に高い。 |
(7) 忌避の経験に関する自由記述の回答例
設問「忌避の教理(排斥等により、集団で無視される、親族からも縁を切られる)に関して抱いた考えや感情について、特に離脱時の障害についてお感じのこと一切を自由にご記入ください。なければ「なし」とご記入ください。」という問に対する個別回答の一部を以下に示す。
兄が排斥され忌避されていましたのでどう対応されるのか…は分かっていました。 |
・1◯歳で排斥後、忌避されながらも集会に参加していましたが、目も合わせない口も聞かない、賛美の歌は歌わない、祈りには参加しない、入り口近くのパイプ椅子に座る、など散々な扱いを受けました。 |
「エホバの証人でなければ真の家族ではない」という雰囲気がもの凄いです。血の繋がりよりも霊的な繋がりの方が強く、組織から離れた家族への愛なんてカケラも感じません。口では「平等に愛している」なんて平気で言いますが「平等」だなんてとんでもない。組織から離れた者は例え血の分けた家族であれサタン扱い。組織から離れた1◯歳〜主人と結婚する2◯歳までの間、家族と言える人間は未信者の父しか存在しませんでした。 |
「悔い改めれば許される」と語ってますが、結局長老や上の人たちの判断です。 |
1◯歳という年齢で、バプテスマを受けていないのにも関わらず、エホバの証人の活動には今後参加しないとの意思表明をしただけで数年間忌避相当の仕打ちを受けた。その日から衣食住の提供は止まり、自分で働きながら食費や学費を賄った。当時は呪い殺すくらいの気持ちを抱いたし、もうそんな激しい怒りは残っていないが、本当に酷いことをされたと思う。二十代後半から親の干渉を、一切無視するようになり逆にこちらから忌避をしている。親族から「連絡取ってあげて」と促されるのが辛く、私のほうが間違っているのかと思うくらいだったが今となっては何も間違っていないと感じる。むしろ死ぬまでにもう一度激しく忌避を親にやり返したいとすら感じる。現在は最低限度の連絡はするが、食事に行く、会うなどの接触は積極的にはしない。非常に残念な親子関係で、妻の親族に説明がしづらく、社会的にもおかしいと受け止められることが不安である。 |
1◯歳の頃、エホバの証人以外の人と交際したため排斥になりました。その時はやっと辞められるのだと思いました。兄弟姉妹との話しや連絡は取れなくなるのだという覚悟はありました。エホバの証人の友人がほぼ全てだったので、1◯年間を失うような気持ちでした。そして親については、あまり話せなくなるのだという位の認識しかありませんでした。実際兄が私より先に排斥になっていますが、実家には一緒に住んでいましたし会話は少なかったですが食事などは出ていました。 今の私の全てを否定されているようです。 |
本人の特定を避けるために「◯」の加工を当弁護団で行っています。
(8) 忌避経験に関する報告についての小括
ⅰ 教団が「忌避」を教理として明示的に教え、エホバの証人組織内でその教えが忠実に実行されていることが量的に確認された。
そして、排斥された又は断絶した信者が児童である場合、当該児童とエホバの証人家族が同居している場合は、「家族としての日々の通常の活動や関係が続く」といった記載が教団の発行する出版物にはみられるが、その運用が現実におこなわれているのかについては疑問があることは報告したとおりである。
また同居をやめた場合には、最低限の接触しか認められないことから、たとえ未成年であろうとも、家族としての通常の交流が完全になくなるという「忌避」が生じることになる。そして、同居の解消を推奨するような教団の出版物が存在することも、報告したとおりである。
これらの児童に対する「忌避」は、児童虐待(心理的虐待)に該当する。また「忌避」により、経済的な遺棄を伴う危険性もはらむものである。
ⅱ 児童の時にバプテスマを受けた回答者が成人になって排斥・断絶を経て忌避を受ける構図が量的に確認された。これは児童虐待ではなくとも深刻な人権侵害であり、かつ、未熟な判断能力しか有しない児童時点の選択により、長期的に宗教活動を強制されているという意味でより深刻な構造である。
忌避を内在するバプテスマは、虐待行為や将来の長期にわたる人権侵害の温床であることが確認し得ると思われ、何らかの対応策が必要ではないか。
ⅲ 比較的少数ながら、バプテスマを受けていなくても忌避を受ける者が存在することが確認された。ここでも教団の字義通りの教理を超える運用を各信者が実施している可能性が高い。これについて、教団は、「忌避」が極めて重要であるとの教団指示を前提として、教団の指示に忠実に従う信者こそ神が求めておられると強く推奨し、それに呼応するように信者が「より強く教団の意を酌んだ行動をとる」ゆえに、教団の教理を超えた強度の行動に出る信者の行動を放置ないしは不作為により承認をすることになっているのではないか懸念される。
ⅳ 成人に対する忌避が量的に確認された。成人に対する忌避も、明らかな人権侵害であるものの、日本においては具体的な救済方法が検討されている状況になく、被害者が放置されている状態にある。
6 離脱及びその困難性について
(1) 離脱の有無
設問 |
エホバの証人から離脱したことがありますか? |
集計方法 |
有効回答者全員を対象に作成した。 |
結果と考察 |
本調査の回答者は94%が離脱経験者でした。 |
(2) 離脱の年齢
設問 |
何歳の頃に離脱しましたか? |
集計方法 |
エホバの証人から離脱したことがあると回答した人を対象とし、横軸を年齢、縦軸を人数で作成した。 |
結果と考察 |
①離脱するのは主に10代後半〜20代後半だと確認された。 ②多くが児童の頃にエホバの証人に関わり始めても、離脱は成人してからであるという結果になった。信者である親から自立(これには経済的な自立がその前提になる場合が多いと思われる。)することができなければ、現実的に教団を離脱することが困難であること、また親元からの自立ができたとしても教団からの離脱には一定の時間がかかることを示しているものと思われる。 ③またこれは、社会的経済的困難の契機・原因たり得るものが設定されるのは児童の時点であるにもかかわらず、エホバの証人から離脱する時点では児童虐待の防止制度の保護の射程から外れることを意味しており、つまりは児童の時点に起因する問題につき社会的なサポートが受けづらい構造的要因と言いえるのではないか。 |
※6歳の頃に離脱した方は母の入信により父母が離婚し、その後非信者の父方で育てられた方です。母親の入信を理由とする離婚により、信者である母親から離れたことで「離脱した」と理解されておられることから、本調査では「6歳での離脱」と回答しています。
(3) 離脱しようと自分で決められる年齢
信教の自由は年齢に関わらず児童にも認められるべきというのが憲法上の規範であり議論の余地はないものと思われるところ、「信じない自由」・「信教を強制されない自由」もまた、「信教の自由」の根幹の1つである。したがって、保護者が関与していた宗教から離脱する自由もまた人権である。
しかし、感情面において、子どもは親が好きであり、経済面においては子どもは親に養育を依存しており、「親に嫌われたくない」という情の存在が自然であり、そのため親の信仰する宗教を離脱することは一般に困難であると思われる。それに加え、別頁に示したとおり、エホバの証人の「忌避」の教理があることも児童の離脱をさらに困難にすることが予想される。
そこで、当弁護団ではエホバの証人の2世等が離脱を自分で決定できる年齢を把握することとした。
設問 |
集会に「行かない」と自分で決定できる年齢は、あなたの場合何歳くらいだったと思いますか?[23] |
集計方法 |
エホバの証人の活動に参加した(関与させられた)のが18歳未満で集会又は伝道に行ったことがあると回答した人を対象に作成した。 |
結果と考察 |
①10代後半より上の年齢にならないと決められなかったとする回答者がほとんどであった。 ②現在の成人年齢の18歳・かつての年齢の20歳が僅差のピークであり、離脱すると決められる者の多くは成人してからであることが分かった。 ③前述のとおり、離脱には親元からの自立が必要であるケースが多いものと思われ、また心理面でも「親に嫌われたくない」という親への愛情から離脱についてハードルがあるものと思われる。なお、別頁に示したとおり、エホバの証人の忌避教理があることも児童の離脱をさらに困難にしているものと考える。 ④児童虐待防止法や宗教虐待Q&Aの保護の射程からは外れる人権問題として取り扱わなければならないという示唆を得られた。 |
(4) 離脱が困難だったか否か
<tr"> <td">結果と考察
バプテスマの有無に関わらず、エホバの証人から離脱することが困難と感じた離脱者がほとんどであった。
設問 |
エホバの証人から離脱することが困難だと感じましたか? (一つお選びください) |
集計方法 |
エホバの証人から離脱したことがあると回答した人を対象とし、横軸を「どのようにして離脱したか」、縦軸をその人数で作成したグラフを「離脱することが困難だと感じたかどうか」で色分けした。 各選択肢の割合数値はそれぞれの回答人数を「離脱したことがある」と回答した543人で割った割合を示す。 |
(5) 離脱が困難な理由
設問 |
上の質問で「困難だと感じた」とお答えになった方にお尋ねします。その理由を教えて下さい。あてはまるものをすべてお選びください。 |
集計方法 |
エホバの証人から離脱したことがあると回答した人で離脱することが困難だと感じたと回答した人を対象とし、横軸を「困難だと感じた理由」、縦軸をその人数で作成した。 各選択肢の割合数値はそれぞれの回答人数を「離脱することが困難だと感じた」と回答した443人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
①主に家族関係の悪化を恐れて離脱できないことが量的に確認された。 ②一般社会の価値観に触れていないことも離脱困難理由になり得る。 ③また、経済的問題、メンタルヘルスも離脱困難理由になり得る。 ※これらはすべて先行する項目において指摘された個々の問題点と完全に紐づいており、 ⅰ.エホバの証人に関わることで問題を抱えていると認識する多くの人の状況を理解するには、「忌避」の問題、高等教育を受けないことに起因する経済的困難の問題、幼少期からの虐待行為に起因する精神面の不調などの複数存在する各問題を組み合わせた複合的な考慮が必要である、 ⅱ.個々の論点についての教団の説明や反論をそれぞれ個別に独立検討してしまうと、それらの複合的な要因が相互に手段と目的の関係に立って機能しているエホバの証人内における信者や2世等が抱える問題の背景事情・前提条件が見落とされるために誤った結論に至る可能性がある、 ⅲ.先行する項目で明らかとなった各問題点は、多くは「エホバの証人からの離脱困難」という1つの目的に帰結し得る、 といった結論が合理的に導き出されるものと考える。 |
(6) 離脱までに要する時間
設問 |
離脱しようと思ってから、離脱するのに何年かかりましたか?(一つお選びください)。 |
集計方法 |
エホバの証人から離脱したことがあると回答した人を対象とし、横軸を「どのようにして離脱したか」、縦軸をその人数で作成したグラフを「離脱するのに何年かかったか」で色分けしました。 %の数字はそれぞれの回答人数を「離脱したことがある」と回答した543人で割った割合を示す。 |
結果と考察 |
①離脱しようと思ってから1年以内に離脱できたのは半数以下。 ②多くが1年以上かかり、「離脱が困難」と分析する学術研究を裏付ける結果となった[24]。 ③方法の種別による離脱に要する時間の相違は顕著ではなかった。 後述する離脱の方法自体は大きな影響要因ではなく、真の自由意思による信仰ではなかった等の離脱要因に気づく→逡巡する→離脱を決意する→離脱方法を検討する→最終的に離脱を実現するという過程を経るなどするために、時間が相当かかっていることが可能性の1つとして推測される。 総じて、離脱する自由を阻害する教団の運用が量的に確認された。 |
(7) 離脱方法
設問 |
どのようにして教団を離脱しましたか?(バプテスマを受けた人のみ集計) |
集計方法 |
バプテスマを受けたと回答した人を対象に作成した。 |
結果と考察 |
バプテスマを受けた人の離脱方法に限れば、その大半がフェードアウトを選択していることが分かった。 |
(8) フェードアウトを選択する理由
設問「「フェードアウト」を選択した方にお尋ねします。なぜ断絶ではなく、フェードアウトを選択したかその理由を教えて下さい。」
フェードアウト |
フェードアウトしたのは、忌避を避けたかったから。 |
フェードアウトした理由は身体が集会を拒否し出したのが大きかったのですが、断絶を選ばないのは、それから私にも家族が出来、子供たちから親戚を失わせたくないという気持ちです |
フェードアウトしましたが、その前に審理委員会をやって排斥になると思いました。しかし100%排斥事案なのになぜか今思うと忖度なのか戒めで終わってしまい、そのあとは精神も病んでいたためもうどうでも良くなりフェードアウトにしました。 |
フェードアウトでないと教団の餌食になるだけ。 家族間の最低限のコミュニケートが途絶えてしまう為にとった苦肉の策。 |
フェードアウトを選びましたが、元々自分の意見をはっきり伝えるのが得意ではなかったから。信者である母や姉へのダメージを和らげるため。 |
フェードアウトを選択したのは忌避を避ける為 |
フェードアウト選択時は母と弟さんが信者であったため、家族への不利益を懸念したためです。 |
結果と考察
①多くの人がフェードアウトを選択する理由は「忌避」を避けるためであり、これは教団に残る家族への不利益を考慮したためでもあり、また教団に残る家族との関係が断たれてしまうことを懸念したためでもあることが分かった。
②前頁に示す通りバプテスマを受けた人に限ればフェードアウトを選択する回答者が最も多かったことと考え合わせれば、教団を自らの意思で辞められる機会が限られていることと考えるのが合理的であり、信仰しない自由を阻害していると考えられる。
③そのような状況を作っている要因は、教団の排斥者及び断絶者への取り扱い、すなわち忌避であると判断できる。
(9) エホバの証人からの離脱についての小括
ⅰ 忌避につながる「断絶」「排斥」という手段ではなく、忌避を受けないフェードアウトを選択する回答者が多かった。フェードアウトを選択する理由の説明の1つとしては、忌避の教理が「辞めたいと思う信者の家族関係・人間関係を人質にして、離脱する自由を奪っている」との評価が可能であると考えられる。
なお、前述した通り、フェードアウトしたうえで、エホバの証人活動を長期間の間完全に辞めていても、バプテスマを受けている限りは、教団が決める排斥事由に該当する「罪」をおかした場合、排斥・断絶の措置が一方的に可能であるという事実も重要である。
ⅱ 離脱の困難さは、多くの回答者の信仰しない自由を実質的に阻害した/現在も阻害しいていると考えられる。
「信仰しない自由」は憲法の保障する「信教の自由」の中核要素の1つである。そもそもの日本国憲法において、「思想信条の自由」とは別の条文で「信教の自由」が明言されたのは、「宗教行為を強制されることにより(しかも自らの意思決定で宗教行為を行っているとの外形が作出されたうえで事実上強制されることにより)、多大な人々の人権が制限・侵害された」という歴史的経緯によるはずである。
かかる観点から、忌避による離脱の阻害に対して何らかの対策が必要ではないか。
ⅲ 多くの回答者が離脱時には成人になっており、児童虐待に係る被害者支援の法的・政策的枠組みの射程からは外れてしまう。本報告書にある数々の児童虐待を受けて成長し、成人になってから離脱するのにも時間がかかる中で何らサポートが受けられないというのは、当事者に極めて過酷であると分析できる。成人の離脱希望者にも支援が必要であることは明らかである。特に、離脱の困難性が児童の時点の要因に起因しているのであれば、「自己決定権に基づく自己責任」の要素は著しく希薄すると考えられ、このことも併せて考えれば、尚更、そう言えるのではないか。
出典
[1] 『自分を神の愛のうちに保ちなさいp.208』
[2] 『ものみの塔1981年11月15日号p. 24 排斥 ― それに対する見方』
[3] 『自分を神の愛のうちに保ちなさいp.207』
[4] 『ものみの塔1961年10月1日号 p.606–607「読者よりの質問」』
『ものみの塔1977年9月1日号 p.536–540「どんな人の死を悼み,葬式をしますか」』
[5] 『ものみの塔1981年11月15日号 p.25–31「もしも親族が排斥されたら……」』
[6] 『自分を神の愛のうちに保ちなさいp.208』
[7] 『自分を神の愛のうちに保ちなさいp.208』
[8] 『ものみの塔1988年4月15日号 p.26–31 平和な実を生み出す懲らしめ』
[9] 公式ウェブサイト「JW.ORG」内のビデオ『エホバの裁きを忠節に支持する 悔い改めない悪行者から離れている』
・また、『ものみの塔2013年6月号 エホバの懲らしめによって形作られる』には、排斥された信者の両親と実の兄弟たちが16年もの間、忌避を継続した実例を称賛する記事が掲載されている。
・加えて、2023年エホバの証人の地域大会の「Better to Be Patient Than to be Haughty in Spirit: Imitate Abel, Not Adam」(参照訳:霊的に高慢になることより忍耐強くあるほうがよい:アダムではなく、アベルに倣う)で紹介されたビデオにおいては、排斥された母親からの電話を無視することが肯定的に描かれており、それによる母親がエホバの証人のもとに戻ってくることを辛抱強く待つことが推奨されている。なおこのビデオは、一度公開された後に、削除されており、現在はエホバの証人のサイトにおいては視聴ができなくなっている。削除された理由は不明であるが、近時の「忌避」に関する世界的な批判の声とリンクしていると評価する者もいる。
・他に、『クリスチャンとしての生活と奉仕 集会ワークブック 2017年9月号p.8 親族が排斥された時も忠節である』等
[10] 『長老の教科書‐神の羊の群れを世話してください』8章23。なお、長老等の立場の剥奪については、「①検討対象とされ得る行為」と「②確実に検討対象にする行為」とが分けて規定されており、排斥者・断絶者との同居を再開する行為は「②長老等の立場の剥奪について確実に検討対象にするべき行為」にランク付けされており、教団が相当に重視しているものと理解される。
[11] 参考となる報道の例として、以下のものがある。
「脱会した宗教2世が「母に会えない」過酷な現実エホバの証人と出会い、家族がばらばらに」 東洋経済オンライン
「【エホバの証人】現役信者が経験した「忌避」の実態 “病原菌扱い”で恐怖感も」日本テレビ
「【元2世信者が語る】エホバの証人「忌避」の実態…脱会後は家族と“断絶”」日本テレビ
[12] 実際にGoogle Scholar等で日本語の文献を調べてみても日本語の学術文献はほとんど存在しない。
[13] 愛媛新聞Online版 Special E『【連載】記者が見た「エホバの証人」 松山地区大会密着ルポ』中の「連載 エホバの証人地区大会密着⑤ 記者はどう見たか」においては、同大会において22人がバプテスマを受け、その最年少が9歳であったことが報道されている。
[14] 『長老の教科書‐神の羊の群れを世話してください 12章46節』、『ものみの塔1985年7月15日号 p.19』
[15] 『長老の教科書‐神の羊の群れを世話してください 12章52節』
[16] 『ものみの塔2018年研究用3月号p.9 親の皆さん,お子さんがバプテスマに向けて進歩するよう助けていますか』 「ある巡回監督たちは,クリスチャンの家庭で育った若者の中 に10代後半や20代前半になってもバプテスマを受けていない人たちがいることを心配しています」
・『集会ワークブック2018年5月 クリスチャンとして生活する「キリストに従うよう子どもたちを助ける」』「クリスチャンの親にとって,子どもが「自分を捨て,自分の苦しみの杭を取り上げて,絶えず[イエス]のあとに従[う]」のを見ることほどうれしいことはありません。子どもたちがイエスに従い,エホバに献身し,バプテスマを受けるよう助けるため,親には何ができるでしょうか。」
[17] ・『ものみの塔研究用2016年3月号 p.11「 若い皆さん バプテスマに向けてどんなことができますか」』「エホバに献身してバプテスマを受けるなら,むなしい生活ではなく有意義な生活を送ることができます。十代になる前にバプテスマを受けた24歳の兄弟はこう言います。「年齢が上がれば,物事ももっとよく分かるようになったと思いますが,エホバに献身するという決定を下したことで,世の事柄を追い求めないよう守られました」。
・『ものみの塔 2011年6月15日号 p.4, 「うちの子はもうバプテスマを受けてよいだろうか」』「ギリシャのあるエホバの証人はこう述べています。「わたしは12歳の時にバプテスマを受けました。その決定を後悔したことはありません。あれから24年たちましたが,そのうち23年は全時間奉仕をしています。いつでも,エホバへの愛によって,若者が経験しがちな問題に対処することができました。12歳の時には,今ほど聖書の知識があったわけではありませんが,エホバを愛していて永遠に仕えたいと思っていました」。
・『ものみの塔 1995年1月1日号 p.24 みどりごの口から』「良い例の一つは,6歳の時に伝道者になり,クラス全員に証言することを目標にしてきた日本の少女あゆみです。あゆみは何種類かの書籍を学級図書に置かせてもらい,クラスメートの質問にいつでも答えられるよう準備しました。クラスのほとんどの友達や先生が出版物に親しむようになりました。あゆみは小学校6年間で13人と聖書研究を取り決めました。あゆみは4年生の時にバプテスマを受けましたが,あゆみと研究をしていた一人の友達も6年生の時にバプテスマを受けました。さらに,その聖書研究生の母親と二人の姉も聖書を研究し,バプテスマを受けました。」
[18] 「献身」とは、バプテスマと不可分一体の内心での神への宣誓行為であり、バプテスマの直前の時期に「エホバ神に身を捧げる」ことを祈りにおいて宣言する宗教行為である。
[19] 愛媛新聞Online版 Special E『【連載】記者が見た「エホバの証人」 松山地区大会密着ルポ』中の「連載 エホバの証人地区大会密着⑤ 記者はどう見たか」においては、同大会において22人がバプテスマを受け、その最年少が9歳であったことが報道されている。
[20] 『長老の教科書‐神の羊の群れを世話してください 12章46節』、『ものみの塔1985年7月15日号 p.19』
[21] 『神の羊の群れを世話してください12章52節』
[22] 忌避されなくなる理由はいくつか考えられる。①本人のエホバの証人への復帰、②本人を忌避していた家族等のエホバの証人からの離脱ないしは信仰の希薄化など。
[23] エホバの証人の離脱とは、どの離脱手段をとっても、信者としての最も基本的な宗教行為である「集会の参加」をしなくなることと理解できることから、同趣旨に基づき上記設問を設定した。
[24] 「脱会プロセスとその後ーものみの塔聖書冊子協会脱会者を事例に」、猪瀬優理、宗教と社会 2002 年 8 巻 p. 19-37